「442部隊は、200人の白人兵士を救出する作戦に動員され、その戦いだけで800人が死傷しました」とのロッキーさんの話を調べてみると、「テキサス大隊の救出」の話だった。44年10月24日、通称「テキサス大隊」がフランス東部アルザス地方の山岳地帯での戦闘で、ドイツ軍に包囲される事件が起きた。
山の上に陣取ったドイツ軍に対して、テキサス大隊を救援するにも傾斜地の森の地形から戦車が入れず、歩兵の戦力のみで劣勢を挽回するのはほぼ不可能、一時は救出困難とすら言われた。
だが翌25日にルーズベルト大統領自身から直接に第442部隊にテキサス大隊救出命令が下りた。第442部隊は臆せず出陣し、森で待ち受けていたドイツ軍と激しい戦闘を繰り広げ、なんと5日後の30日にはテキサス大隊の救出に成功した。
しかしその間、テキサス大隊211人を救出するために、第442部隊は216人が戦死し、600人以上が手足を失うなどの重傷を負った。この戦闘は「アメリカ陸軍の十大戦闘」に数えられるようになった伝説の戦いだ。
これを読んで「まさに特攻精神だ」と痛感した。大和魂を持って合衆国に尽くした二世たちのあまりに悲しい実話だ。
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米国では1945年10月、11月、日本の敗戦を受けて、強制収容所は次々に閉鎖され、住んでいた町に戻るように言われた。ロッキーさんは「着の身着のまま、帰りのバス代だといって20ドルほどもたされて収容所を追い出されたんです。もといた家に帰っても、荒れ果てている。みんな呆然としたんです」。
二世はアメリカ国民なのに、日本にルーツを持つがゆえに、1952年6月のマッカラン・ウォルター移民帰化法の施行までの長い間、アメリカ市民権すらも剥奪された状態だった。
1988年、米国でロナルド・レーガン大統領は「日系アメリカ人補償法」に署名し、「日系アメリカ人の市民としての基本的自由と憲法で保障された権利を侵害したことに対して、連邦議会は国を代表して謝罪する」と強制収容された日系アメリカ人の現存者に1人当たり2万ドルの損害賠償を行った。これは、ほんの31年前、ブラジルでは日本移民80周年を祝っていた時だ。
まさにこの80年代に全米日系人博物館設立の動きが高まり、85年に正式に非営利団体として設立。資金集めに協力した多くの日系人の中には、政府からの賠償金を寄付した人もいたという。92年についに開館となったが、その前日に有名な「ロス暴動」(4月~5月)が起きた。
その背景には、黒人の高い失業率に加え、警察の強圧的な態度、韓国系アメリカ人による黒人蔑視などの不満の高まりがあった。そんな4月29日に、黒人に暴行を加えたロス市警警官に無罪評決が下された。怒った黒人らが暴徒と化し、ロス市街で暴動を起こして商店を襲い、放火や略奪をした。
同博物館サイトにはその時のことが、こう記されている。《博物館は急遽、館内での縮小した記念式典を行うことになりました。暴動のさなかに行われた開館記念式典は、多文化社会の相互理解を深めたいという博物館の使命の重要性を、改めて参加者に認識させる結果となりました》
この博物館の設立経緯自体が、アメリカの現代史の一部だ。ブラジルの日本移民史料館ももっとブラジルの歴史に寄与するために、サントス強制立ち退きなどの問題を大きく扱っていいのではと考えさせられた。(つづく、深沢正雪記者)