ブラジル沖縄県人会(上原定雄ミウトン会長)の第12回沖縄フォーラム「ブラジル人気質と人種偏見」が、19日(日)午後2時からサンパウロ市の県人会本部大サロンで開催された。終戦後も学校で敵性国人とみられて差別された二世の経験や、沖縄系社会に入ろうとした非日系ブラジル人が受けた偏見などの4人の体験が4時間も語られた。重たいテーマにも拘らず、来場した約160人は自らの問題として聞き入っていた。
上原会長が開会の挨拶をした後、実行委員長の比嘉玉城アナマリアさんから「昨年のフォーラム『混血とブラジル人気質』から今回のテーマが生まれた。青壮年会や留学生OB会、青年部、支部のおかげで準備ができた」と感謝した。
まず、ケンブリッジ大学英語学科卒で英語通訳をするマガチ親川節子さん(74、二世)が「人種偏見と言えば黒人を指すことが多いが、ブラジルでは日本人も偏見を受けた。それは日本人の強烈な愛国心がブラジル文化に溶け込む事を阻害し、さらに第2次大戦で敵国人として扱われたからです」との見方をのべた。
具体例として「12歳の頃、小学校で授業中、先生から『日本人の家には家具がない。箱に座って生活している』などと同級生の前で言われ、とても困惑、恥ずかしい思いをしたことがある。うちにはちゃんと家具もベッドもあった。明らかに差別的な発言だと子供心にすごく傷ついた」という体験談から始めた。
「移民は耕地で貧乏な生活から始めたが、子供を学校にやって博士を多く育てた。70年代に日本が経済発展したおかげで、私たち日系人への目も変わった。偏見を受けて劣等感を感じた瞬間、むしろ私の知能、感性は刺激を受け、見返すための起爆剤となった。今ではウチナーンチュ二世のブラジル人である事を誇りに思っている」と締めくくった。
次は南麻州カンポ・グランデの沖縄県人会支部で第2文化部長を務める非日系のクリスチャン・プロエンサさん(26)。14歳の時にテレビ番組を見て沖縄文化に興味を持ち、同支部に足を運んで三線を習い始めた。
「最初はみな一世の高齢者ばかり。ボクが最初の非日系人。背中を一番押してくれたのは一世、二世からはむしろ差別があった。でも、今では琉球国祭り太鼓、琉球舞踊をやっている文化部の若者の半分以上が非日系人になった。これは外国から持ち込まれた文化が地域に定着した証拠。婚約者は今帰仁の三世。沖縄文化は美しく豊か。それなしでは、ボクはもう生きられない。タブーにしないで話し合うことが大切」と締めくくった。
ブラジル日本文化福祉協会の前会長・呉屋春美さんは「私は差別を受けた経験がない」と前置きし、差別的な発言をされた時、「自分がそれを受け入れた場合にのみ、他人からの偏見が存在する。郵便を通じて贈られるプレゼントに似ていて、それを受取拒否すると差出人に返される。受けた偏見は自己の精進の糧にすべきもの。これを克服する手段としては、自分の真価を認め、仲間や家族に支援を求め、健全で創造的な手段で対処するしかない」と語った。
10問以上の質疑応答があり、比嘉実行委員長はプロエンサさんに対し「ウチナーンチュから差別があったことを、あなたに謝りたい。あなたは私たちよりウチナーだ」と称賛した。
講演は全て日伯両語で行われ、日本語文朗読は城間セルソ明秀さんが担当。芸能アトラクションでは吉村尊雄三線胡弓(くちょう)研究所、琉球民謡保存会(二才達(ニセター))、青壮年会のカラオケ、レキオス芸能同好会エイサー太鼓などが披露された。会場には石川ソニアさんの紅型展示会も行なわれた。