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県連故郷巡りカリフォルニア=150周年、満砂那(マンザナー)に平和を祈る=《16》

上院議員を4人も出した北米

ノーマン・ミネタ元運輸長官(Public domain)

ノーマン・ミネタ元運輸長官(Public domain)

 ロスの全米日系人博物館で配られたDVDには米国日系政治家の先駆者ダニエル・イノウエ、911テロ時の米国運輸長官ノーマン・ミネタ、強制収容時に日系人を守った州知事ラルフ・カーのドキュメンタリー動画が収録されていた。
 以前、ある古参二世から「ブラジルには日系連邦議員が5人も同時に出たことがあり、政治参加が盛ん。アメリカでは少数しかいない」と誇っているのを聞いた。
 ウィキペディアを見てみると、確かに下院議員経験者はダニエル・イノウエ、パット・サイキ、メイジー・ヒロノ、マイク・ホンダ、ドリス・マツイ、ボブ・マツイ、ノーマン・ミネタ、パッツイー・ミンクで8人と多くない。
 だが、上院議員はダニエル・イノウエ、サミュエル・I・ハヤカワ、スタン・マツナカ、スパーク・マツナガと4人もいる。中でもダニエル・イノウエは1963年から上議職として全米最古参、2010年から「上院仮議長」だった。この上院仮議長は実質的に名誉職だが「大統領継承順位第3位」であり、米国の歴史上アジア系アメリカ人が得た地位としては最上位だ。
 ブラジルの日系連邦議員は同時に5人も出た時期があるが、総計しても米国の3倍はいないのではないか。そして上院議員に至っては柳井ジョルジが補欠として数カ月務めたのみ。
 ブラジル日系政治家の方が量では勝っているが、米国日系人の方が質では上といえそうだ。
 そして、日系アメリカ人市民同盟(Japanese American Citizens League、JACL)が日系人強制収容を人種差別だと連邦政府を訴えたとき、政治家として尽力したのがスパーク・マツナガ上議(当時)、ロバート・マツイ下議、ミネタ下議だと言われる。
 ミネタの日本名は峯田良雄〈みねた よしお〉で、両親が静岡県出身の二世だ。カリフォルニア州サンノゼ市で生まれ、第2次大戦中はワイオミング州のハートマウンテン日系人収容所に送られた。ハワイを除く米本土勢としては初めて、1971年に日系人として大都市サンノゼ市長に当選した。さらに1974年には米本土勢では初めて米国下院議員に当選した。

ウィリアムソン山を背景に農作業を行う収容者(アンセル・アダムズ撮影)

ウィリアムソン山を背景に農作業を行う収容者(アンセル・アダムズ撮影)

マンザナー強制収容所博物館の展示。「日本人は移動せよ。ここは白人の隣人のみ」との看板を指さす白人女性

マンザナー強制収容所博物館の展示。「日本人は移動せよ。ここは白人の隣人のみ」との看板を指さす白人女性

 

 以来1995年まで実に20年以上にわたって下院議員を務め、88年には、日系人強制収容に対するアメリカ合衆国政府による公式の謝罪及び賠償を規定したCivil Liberties Act(市民の自由法)の成立に力を尽くした立役者だ。強制収容に関する公聴会は1981年に全米10都市で開かれ、計20日間で750人の経験者が証言した。
 まさに政治家と日系団体と日系市民が団結した結果として、連邦政府からの謝罪を勝ち取った。民主主義が貫かれている米国と違って、ブラジルでは独裁政権時代が長かった。そのせいか、かつては当地では経験したことのない日系市民運動が米国では展開された。(つづく、深沢正雪記者)