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県連故郷巡りカリフォルニア=150周年、満砂那(マンザナー)に平和を祈る=《19》

ヨセミテ国立公園の絶景を前に記念撮影する一行

ヨセミテ国立公園の絶景を前に記念撮影する一行

 4月13日(土)、一行はベーカーズフィールドのホテルからヨセミテ国立公園に観光に向かった。標高1200メートルの高原にあり、気温は10度。両側を山に囲まれた谷間で、残雪が残るつづら折りの下り坂を降りて、長いトンネルと抜けると、いきなり絶景が広がった。氷河が両側を削り取った渓谷という独特な地形だ。
 月が半欠けになったような形の巨石が載ったエル・キャピトンという絶壁や、山の上から雪解け水の滝が流れ落ちる「花嫁のベール」など見どころがたくさん。いろいろなハイキング道路が設けられており、わずか3時間の滞在ではもったいない場所だ。
 参加者の足立有基さん(ありもと)はその時のことをこう詠んだ。
《ヨセミテの初春に見える残雪は森の根方にひっそりはべり》
     ☆

市川利雄団長

市川利雄団長

 昼食時、故郷巡り団長の市川利雄さん(71、二世、富山県人会会長)に伯米日系人の比較を尋ねると、「そりゃ、だいぶ違うね。ブラジルでは60年代、70年代まで地方の植民地が活発に維持されて、そこで人格形成した二世、三世がたくさんいる。でも、米国にはいわゆる日系人が中心になった村というか集団地がない。だから日本語や日本文化を残すのが難しかったんじゃないか。あとブラジルでも戦後には教育に力を入れて、子供を良い大学に入れた。僕は10人兄弟だけど、半分は大学卒だ」と興味深いコメントをした。
 アリアンサ移住地出身で、工業系大学の最高峰ITA(航空技術大学)卒のエリートで、日本進出企業NECで幹部になって退職し、今は県人会というコミュニティ活動に力を注ぐ市川さんらしい見方と言えそうだ。
 一行の一人、畠山富士雄さん(75、二世)にも聞いてみた。「やっぱり違うね。ブラジルは混ざるけど、アメリカは混ざらない感じがする。あと僕らは三世、四世になっても同じところに住んでいるけど、アメリカの日系人は他の州に移動することが多い感じ」との感想をのべ、ロスのリトルトーキョーが日本的な商店や飲食店だけに見え、韓国人街、中国人街がまったく別々に、大規模に形成されている様子を例に挙げた。
 たしかにリベルダーデはもともと日本人街だったが、今では韓国系や中国系の店の方が多く、そうとう混ざっており、文字通り「東洋人街」だ。妻の手島幸子さん(74、三世)は「でも私はサンパウロにも、ロスのリトルトーキョーのような場所が欲しいわ」との感想を付け加えた。
 米国の日系人強制収容への補償運動を主導した日系人団体JACL(日系アメリカ市民連盟)の基本的な立場は「米国忠誠・同化主義」であり、戦争相手である日本のナショナリズム的な傾向を忌諱するニュアンスがある。
 一方、ブラジルでは勝ち負け抗争が終焉した後、「心情的な勝ち組」が日本語教育や日本文化を残すべく切歯扼腕してきた。国が違えば、歴史や考え方も変わる。そんなことも考えさせられた故郷巡りだった。(つづく、深沢正雪記者)