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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(104)

 房子にとって永遠に思われたときがすぎ、サンタカーザ病院に着いてすぐ、息子は適切な処置を受けられるようになった。だが、すでに重態で、ほとんど息ができない状態だった。診察室のなかに連れていかれると、正輝と房子は待合室でなすべくもなく待った。よい知らせがくるかもしれないと、廊下の方を見つづけた。壁の時計の針が1分、1分進むのをうかがいながら、30分経ち、そして1時間経った。医師が看護婦をしたがえ、病状の報告に現れたときにはどのぐらい待ったか分らなくなっていた。
 医師がはじめにいった言葉は、
「大変お気の毒でした」の一言だった。それを聞いて房子は泣きさけんだ。
「なぜ、またなの?」
と悲鳴をあげた。姪の銃による死は予期せぬ犯罪によるものだった。だが、今度は自分が腹をいためた子どもが病気で死んだのだ。自分の体の一部をとられたように感じる。
「どうして? どうしてなの?」
 そんなことは受け入れられない。息子たちのなかではいちばん活発で、頭がよく、個性があるように思え、ことのほか手をかけていた息子。それが運命だとでもいうのか。
「なぜ? なぜなの?」
 そのようなことがなぜ自分に起きてしまったのかと彼女は叫びつづけた。
 どうしても納得できない彼女に向って、医師は事務的に、
「ヂフテリアでした。病状がある程度悪化すると、手のほどこしようがない」と告げた。また、できるかぎりの手をつくしたと説明した。悪化がひどくても、喉を切って、気管切開をほどこす方法がある。それが可能なら、呼吸することができる。しかし、病院に着いたときはもう手遅れで、どうしようもなかった。人工呼吸をしてみたが、心臓がほとんど止まっていて、酸欠状態におちいっていた。斑点はすでに空気が喉を通さないほど広まっていたと告げた。それがヨーチャンの死因だったのだ。
 1年も経たないうちに、もうひとりの家族をアララクァーラ墓地に埋葬することになってしまった。今回は息子うちのひとりで、まだ、3歳にも満たない幼子だった。正輝のブラジルでの人生はずっと運に恵まれないものだったが、このときに及んでも、耐えることのできない苦境に立たされたのだった。確かにほかにも息子たちがおり、またもうひとり授かろうとしている。だが、正輝夫婦がお互いを慰めようとすればするほど、無慈悲な仕打ちに思われた。
 ウサグァーを埋葬した帰途はつらかった。やるべきことはやったと思っていても、彼女の死に何らかの責任を感じていた。自分たちがあのような事件が起こる状況にしてしまったのではないか。そして、ヨーチャンを埋葬した帰り道はもっと辛かった。心にポッカリ穴があき、その穴を埋めることなど決してできないと思った。ヨーチャンの悪態、兄たちとの小競り合い、同じ年のセーキとの喧嘩など、ほかの兄弟をさんざん困らせたこと、すべてが過去の思い出、懐かしさも空虚なものとなってしまったのだ。
「もう見ることのないあの子より、喧嘩してでもいいから、生きていてほしかった」と房子はつぶやいた。
 これほどつらい日々をすごしたことは今までなかった。畑仕事ははかどらず、夫婦は収穫したり、荷造りをしたり、馬車に乗せたり、おとなしいラバのクリオウロに引かせて朝市に運んで売ったりする気力をまったく失ってしまった。
「失望や悲しみばっかり、いったい何のため?」と房子は嘆いた。
 正輝は日常、夕食前のピンガを欠かさなかったが、それからは食事の後にも飲むようになり、毎晩、酔いつぶれて床に入った。だれとも話さず、酔っていないときでも、うつろな目で遠くを眺めていた。活力を失い、もともと働くのが好きではなかったから、働くなどもってのほかで、不幸が重なり、今はただ、苦悩に打ちのめされた役立たずの人間だと考えていた。