「砂漠に畑、そこが日本人らしい」
コルマ日本人共同墓地に、たまたま墓参に来ていた安田千益子さん(ちえこ、82、東京)に話を聞くと、ここは加州日本人慈恵会が管理し、「宗派を問わず、今でも日本人がなくなると、99%ここに埋められる」という。安田さんの夫が昨年8月に亡くなり、その墓参りに来たのだという。
「お墓の土地は20年間なら1千ドルだったが、今は5千ドル。そこに1万5千ドルで墓石を建てた。大きな墓石は5万5千ドルというのもある」とのこと。
日蓮宗の開教師だった夫が1959年に先に渡米し、3年後に千益子さんも来た。夫は5年で布教は辞めて、後は日本航空で28年間も務めあげて退職したという。「親に移住を反対されて『5年で帰ります』と言って出てきたけど、今までいるわ」と笑った。
やはり墓参にきていた小枝子・デバインさん(80、福岡県)に話を聞くと、「夫が兵隊で、私がその官舎で働いていて知り合って結婚した」という。「終戦の時、私は7歳。父はビルマ戦線で負傷して帰ってきて、鹿児島の病院に会いに行ったのを憶えています。アメリカ人と結婚すると言ったら、家族・親族から怒られ、総反対され、大変でしたよ。いったん出てきた以上、何があっても日本には頼れない。そう思ってやってきました。今は息子と嫁と犬と同居。日本語を話す機会は滅多にありません」と語った。
せっかくの日本人墓地なのに、残念ながら見学だけで終わった。線香をあげて参拝する機会はなかった。ガイドによれば「コルマは市の人口より墓の数の方が多い」という少し変わった町だ。
15日晩はサンフランシスコ日本人街のベニハナ・レストラン。一行は楽しみにしていたが、シェフらしき賑やかなラチーノは、鉄板テーブルの前でカチンカチンと小手をぶつけて踊るように目前で調理を始めたが、出てきたのはタダのチャーハンとヤキソバだった。
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16日は最終日。いよいよサンパウロ行きの飛行機に乗る。サンフランシスコ国際空港で最後のインタビュー。10年前から故郷巡りの常連になったという新谷秋子さん(59、二世)は「ここが一番良かった。有名な金門橋を見たかったの。日本人町も良かったけど、桜祭りが見たかった。やってるって知らなかったわ。ちょうど同じ時期だったのに」と残念そうに語った。
尾崎和美セシリアさん(61、二世)は「私はマンザナーが一番良かったわ。ジャップ、ジャップって虐められ、マンザナーに送られる姿を描いた日本のドラマを見て勉強してから来たの。だから現地に行った時は感銘を受けた。あんな砂漠みたいな所でも畑を作った。そこが日本人だと思ったわ」としみじみ感想をのべた。
一行は17日午前、無事にグアルーリョス国際空港に到着した。(終わり、深沢正雪記者)