この方法を取れば、その場で一番融資を望む者は高い金額を記入する。金を必要としない人は金額を書かないこともある。融資を獲得したものはその場で、みんなに利子を払い、残りの全部を受け取る。頼母子期間の終了日近くに金を受け取るものはみんなから利子をうけとり、最後の人は利子を一銭も払わず掛け金全部を手にすることができる」
頼母子はだいたいこのようなきまりで行われるが、いくつか別の項目を加えるグループもあった。沖縄人の間では後援者、主催者であり、全員の保証人にもなる「親元」がいて、月々の会合は彼の家が使われ、利子なしで初めの融資を受ける権利があたえられる。グループの責任者としての役割、また、家を提供することで、利子をご破算にしたという訳だ。
内地の頼母子との違いは沖縄の「ユレー」には「ヒージャ ヌ シル」というヤギ肉の汁物を用意してみんなにふるまう習慣だった。正輝は沖縄の子ども時代から知ってはいたが、ブラジルではめったに食べられなかった。彼の属する頼母子にはこれを作る。正輝の家に集まるときはこの汁物をつくる機会に恵まれる。それは以前の日常生活をとりもどす気力を刺激する新しい仕事ともいえた。家に集まり、話し合い、あれこれこまかい打ち合わせをし、具体的な手はずを整え彼が決定を下す。それらの一連の作業が彼に活力を戻した。それまでのうち沈んだ顔立ちまで、明るさを示すようになったのだ。
ヤギの汁をつくるにはいろいろな準備がいる。朝市でヤギを売ってくれる人との交渉、また、大きなアルミか鉄の鍋を2、3日貸してくれる人を探さなければならない。集会の日取りや時間を決めねばならない。全ての参加者に連絡が行きわたったかを確かめる。
ヤギは生きたのを探した。自分で殺すつもりだった。豚より殺したり、さばいたりするのはやさしいと考えたからだ。ある土曜日の朝早く、仕事にかかった。殺すのにはそれほど手間はかからなかった。すぐに腹を開き、内臓を引きだした。房子はそれを受けとり臓物をきちんと分け、きれいにした。
家の後ろに焚き火をたいて、毛を焼いた。髪の毛を焼くようないやな臭いがした。皮が焦げすぎないように注意しながら、何か所かに焦げ目をつけるのがコツだった。この焦げ目がヤギ汁の味を引き出すのだった。
ヤギをかかえながら、一か所ごとに丁寧に火をあて、毛を焼いていった。細心の注意をはらったつもりでも、仕上げの段階で毛が残ってしまった箇所に気づいたこともある。もっとも、この焦げた毛もだしのコクを引き立てると考えればいい。
いよいよ、肉をばらす段階だ。ヤギ汁の肉は皮つきで縦横10センチの大きさに切る。頭や骨を切るためにはよく研いだ包丁のほかに斧が必要だ。
農作業に使っている柄を取り外した斧の刃をよく研いで使った。斧の上部をつかんで、力いっぱい骨にぶち当て、骨を割ったり、砕いたりした。
切った肉、骨、それに房子が洗って切り分けた臓物を大鍋に入れ、水を加え、肉が柔らかくなるまで、何時間も煮るのだ。水にはほんの少しの塩しか足さない。沖縄人があれほど好むヤギ汁独特の味は、ヤギの肉、焦げた皮、毛から抽出されるのだ。正輝もそうだが、ヤギ汁を食べるとき、椀になん滴かピンガを落す者もいた。
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