これで日本移民の英傑4人が揃い踏み――水野龍(りょう)と平野運平胸像の除幕式が15日、サンパウロ市リベルダーデ区の日本風広場ラルゴ・ダ・ポルヴォラ(Largo da Polvora)で執り行われた。水野龍の三男・龍三郎さん、在聖日本国総領事館の楠彰首席領事、コンサートのため訪伯中の演歌歌手三山ひろし一行、各日系団体の代表者ら約120人が参列し、広場は落成を祝う人で埋め尽くされた。
代表者により胸像を覆う白い布が取り払われると、顔の細部まで精巧に造られた、赤銅色に輝く水野龍の姿が現れた。参列者からは万雷の拍手が沸き起こった。
挨拶でサンパウロ市長代理は、「『ラルゴ・ダ・ポルヴォラ』の名前は残しつつ『移民の父広場』と新しく名付ける方向で進んでいる」と発表。参列者からは一層大きな拍手が響いた。
三山ひろしは「今日ここに来られたのは、水野龍を始め、皆さんが日系社会を支えてくださったからです」と参列者に祝意と感謝を表し、「オブリガード!」と締めくくった。
水野胸像の制作者の久保カルロスさん(69、二世)は「1ヵ月かけて造った。この広場に立ったことがとても嬉しい」
と笑顔を見せた。
鉄板をレーザーで切り取り、重ね合わせる工法で制作。台座を除く胸像の重さは約130キロ。一般的な胸像よりはるかに薄いが、色の異なる鉄板を用いることで立体感や顔の彫りまで再現されている。「芸術家として、現代的な方法で普通とは違うものを造りたかった」とのこだわりを語った。
平野胸像の除幕も行われ、広場は再び参列者の拍手喝采に包まれた。
ブラジル日本都道府県人会連合会の網野弥太郎元会長(83、山梨県)は「今日ここに胸像が立ち、改めて日本移民の先人達がブラジルに認められたように感じた。111年経った今も、困難を乗り越えた先人達は忘れられていないし、後世にも伝えていきたい」としみじみ思いを述べた。
広場には以前から上塚周平、宮崎八郎の像も立っており、ブラジル日本移民の4英傑が集うこととなった。
この除幕式は熊本県文化交流協会(清原健児会長)、高知県人会(片山俊一アルナルド会長)、佐賀文化福祉協会(西山実会長)、静岡県人会(原永門会長)、教育機関アルバレス・ペンテアード財団(FECAP)、ブラジル日本青年会議所(JCI、和田ルドルフ理事長)、ブラジル環境保全協会(AMA Brasil)の共催で行われた。
□関連コラム□大耳小耳
東洋人街のラルゴ・ダ・ポルヴォラに、新たに立った水野龍胸像。今後心配なのは盗難の被害だ。設計の都合上、一般的な像より薄く軽い。また現段階では、8本のボルトで台座に固定したのみで、これでは心許ない。過去には近くのカンブシ区、平野運平広場の同氏胸像が盗難に遭っている。今度は東洋人街から「移民の祖」が消え去るようなことにならないよう、何か手を打ってほしいところ。
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水野胸像の台座には日ポ両語で水野龍の名前があるが、ポ語表記が「RYU MIZUNO」となっている。「龍」という名前は、同郷の英雄、坂本龍馬から取ったもので、本来は「RYO(りょう)」とすべきところ。水野本人も読み方にこだわっていたと言われている。日系社会の中心部に立つ移民の祖の胸像ゆえに、もう少しこだわるべきだったのでは。
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水野胸像の台座にはポ語で説明があり、「日本移民の夢を叶えるために困難に立ち向かった勇敢な男。敬意と決断力、無私の精神が、水野龍の人柄と精神を形作っている」との旨が記されている。読むだけでも水野の熱い思いや苦労を思い起こさせる。ぜひ広場に「日本移民の4英傑」を見に行ってみては?