それは毎日、果たさなければならない義務だった。いや、毎日ではなかったかもしれないが、子どもたちは懸命にその義務を果たした。日曜日は、楽しみの日だ。学校にいかなくてもいいからだ。両親が朝市に行く日でもあった。だから、両親の監視下におかれることがない。思い切って遊べる。
日曜日でも、家族の習慣で朝、早く起きた。ただし、週日のように重いじょうろを担いだり、鍬を使った仕事はしなくてもいい。当時の子どもたちは遊び方を考えた。かけっこしたり、木にのぼったり、鶏を驚かせたり、豚のあとを追いかけたり、ボールを投げあったりした。靴下で作ったボールは親の目を盗んで、納屋の奥にしまいこんでいた。ときには何もしないこともあった。彼らはそういう時間が好きだった。
ただ、ひとつ気をつけていたのは昼下がり、オウロ川の橋を渡って、農園に向う坂道を馬車のきしむ音にまざって聞こえるラバのクリオロを「オーー、オーー」とどなる父の声だった。ごく短い距離なのだが、馬車で家まで着くのはけっこう時間がかかった。というのも家族の畑は農場の一番奥のほうだったからだ。子どもたち履いて義務をまがりなりにも大急ぎで果たすことができた。
はじめに父の声を聞いた者が他のふたりに報せ、三人は畑に走っていって、野菜に水を撒いた。正輝夫婦は疲れきっているし、なにより、息子たちを信用していたから、日曜日の彼らの仕事をわざわざ畑までいって、確かめることはしなかった。
ネナはまだ8歳だが、台所仕事はすべてやってのけた。房子は食事の支度についていい聞かせることはなかった。男の子と反対に家事を一日たりとも怠ることはゆるされなかった。何かしわすれでもしたら、房子に注意された。
小柄でかしこいネナはひとりで判断した。4歳のミーチ、2歳のツーコ、まだ赤子のヨシコの面倒をみた。入浴させ、着替えさせた。きれいな服に着替えさせたあと、上の二人をベッドの端にかけさせ、自分の胸を指差し、「ここ、見て」と命令した。二人は言葉にしたがい言われたとおり、髪がとかされる間、じっとしていた。
セーキはまだ通学していなかった。一時期、そのへんにいるいろいろな種類の小鳥を捕えてきた。粗末なピラミッド型の罠で小鳥を捕まえた。兄弟のなかでいちばん忍耐強く、気に入った小鳥を捕まえるために長い時間、静かに機会をうかがった。他の兄弟たちといっしょにこの遊びをするのは嫌いだった。彼らは1羽の小鳥を捕まえるのに長い時間、身動きもせず静かにまちつづける我慢などできなかった。小鳥はトウモロコシを砕いた粒などで罠にかかった。セーキはマッシャードス区の入り口にある製粉所でのこっている粉を手に入れた。製粉所は穏やかで大男の通称シッコ・ポエイラが所有していた。体も手も大きく、いうことを聞かない子どもの親は、「シッコ・ポエイラのところに連れて行くぞ」と威したほどだ。
セーキにはそんな威しは通用しなかった。というより、小鳥の餌の確保が必要だったのだ。ときにはカナリアサードを餌にした。セーキは捕まえてくる小鳥を粗末な鳥かごに集めていて、その小鳥用に正輝が町からカナリアサードを買ってきているのだ。
セーキは身動きもせず、息もしない状態で待ちつづける。罠の下にばら撒いた餌を小鳥が食べにきたとき、支えていた棒のヒモをひっぱる。
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