ホーム | コラム | 樹海 | ジャーナリズムは事実の奴隷でなければ

ジャーナリズムは事実の奴隷でなければ

 キャリア50年以上のジャーナリスト、アレッシャンドレ・ガルシア氏が、「ジャーナリズムは事実の奴隷でなければならない」と語り、我々の視点や倫理観というフィルターを避ける事は不可能だが、自分が信じる事実を曲げてはならないと説いた▼弊紙でも、題材の選び方や表現方法に記者の関心や問題意識が反映される事は避け難い。だが、これは知ってもらうべきと思う事を選び、情報やデータに忠実に記述するよう心がける事は出来る。そう考えた時、野菜や果物の残留農薬の事を書き、「余計な事を書くな」「農家がどれだけ苦しんできたか知っているのか」と言われ、辞表を出した事を思い出した▼編集長が「健康を案ずる消費者が増え、皆が関心を持っている内容だから」と相手に釈明し、その時の辞表はないものにされた。一部読者の関心や反感を買う事があっても、事実は事実との思いは今も変わらないし、基となる情報源に忠実である事を忘れぬよう願わされる▼ボルソナロ大統領が、軍政下で殺害されたとされた人物は「反体制派内で粛清された」「法定アマゾンの森林伐採に関するデータはでたらめ」などと話し、物議を醸しているのは、事実を隠そうとし、周知の事実を曲げようとした例だ。イデオロギーや敵意に根ざした発言や批判は、事実の前に力を失う▼自分に不都合な事や身内を不機嫌にさせるような事は言うな、と言わんばかりの物言いはよくある。保身に固執し、何気ない言葉も自分への攻撃だと思い込み、人間関係を切る人もいる。事実が一つでない事もあり得、全ての情報の真実性を確かめる事は難しいが、事実に忠実である事は忘れずにいたい。  (み)