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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(132)

 1945年6月6日、沖縄戦がアメリカ軍の勝利におわり、ブラジルは日本との開戦を発表した。奇妙な言葉や習慣をもつ日本人はブラジル人の敵となったのだ。路上でのいやがらせが始まり、特に敗戦がわかってから、それが顕著になった。
 「ジャポンが戦争に勝ったのなら、どうしてあっちに帰らないんだ」とブラジル人は日本人のおかしな発音をまねしてからかい、他の者は、「おまえたちが世界を牛耳るとでもいうのか」とあざ笑った。
 真珠湾攻撃以来、「裏切り者、ジャポン」とよばれてきた正輝はこの新しいいやがらせを気にしなかった。それより、日本の勝利は疑う余地もない真実であると信じきっている日系社会をかけめぐる情報によって、問題が起きることを懸念した。正輝にしても、また多くの移民にしても、日本が負けるなどありえない。まったく信じられない。いままでに受けた教育、いままで信じてきもろもろから日本が負けるなどありえないことだった。
 嘆き悲しむときではない。「天皇陛下、ばんざい!」と叫ぶべきときだ。
 習慣を重んじる沖縄人渡真利成一もそのように考えたひとりだった。渡真利は成すべきことを成すべきときに実行する男だった。彼はすばらしい統率力をもっていた。重要と思われることは見のがさなかった。書きとめなくてはならないときは几帳面に書きとめ、それを用紙に書くときには分りやすく書いた。たとえば、ある組織を紹介する場合、組織図を画き、順序よくていねいに読みやすい字でそれぞれの役目を記入し、下に各責任者の名前を書いた。
 この几帳面な性格は生まれつきで、悲しみにつけ、苦しみにつけ、喜びにつけ日記に書きとどめた。
 8月15日の日記には次のように書かれている。

 「本来なら喜ばしき日といえる。しかし、アメリカから入った偽のニュースにより、日本の無条件降伏の話しを耳にする侮辱的な一日を送った。泣き通して眠れぬ夜を過ごした。よく考えると、納得いかない点ばかりだ。明日、16日朝、じいさんのところへ行ってみよう。きっと、安心できる話しが聞けるだろう。ようするに、日本は大勝利したのだ。うれし涙が止まらない。嬉しい。それ以外の考えなど浮かばない」

 日記にある「じいさん」とは退役陸軍中佐吉川順治氏を指す。
 彼は1944年9月以来、日本人農業者を扇動した容疑で獄中にあった。吉川は獄中、日本軍の勝利の話しを耳にし、そのことを渡真利に告げ、彼を説得した。
 正輝にしろ渡真利にしろ、大部分の日本人はラジオ放送や噂で、終戦のことを聞いていた。敗戦を嘆いたが、戦争の終局については疑問をもっていた。そしてその後あの情報は連合軍が移民たちの士気を萎えさせるためにしかけたのだと解釈した。8月15日の前日には次のように記している。
 「日本の大勝利が流れ始めた。その日、出所不明の日本敗戦はデマで、日本は勝利を収めたというニュースが行きわたった。これは前もって準備されていた情報ではなく、同胞をだますための情報で、以後このようなことが続いた。『敗戦を信じたくない』という考えがそうさせたのだ。敗戦を否定し、日本が勝利したという気運は各地から生じた。デマがどこからでたのかは分らない。だが、一か所からではなく、各地から生じたのは確かなのだ」