まだマラリア罹病患者が多く見られた1959年、日本海外協会連合会アマゾン支部では移住者の医療面でのサポートとして、アマゾン各州の日本人移住地で巡回診療活動を行っていた。この延長線上に、アマゾニア病院の前身、日伯実費診療所があった。
62年には法律的な問題から海協連を表に出せず、日伯協会が名義を貸したために「汎アマゾニア日伯協会実費診療所」となった。その後、65年にアマゾニア日本移民援護協会(74年、アマゾニア日伯援護協会に改称)が創立され、診療所の運営権を移管。この診療所が69年にアマゾニア病院へと発展吸収された。
その後、日本船舶振興(現日本財団)の寄付を得て新病棟を落成した。また、日本国際協力財団(の助成によって神内良一アマゾニア福祉基金を発足し、病棟を増築。今日のアマゾニア病院となった。
ベレン滞在2日目、朝早くから日伯協会の堤さんと待ち合わせし、アマゾニア日伯援護協会(山本ジルベルト会長)が運営するアマゾニア病院へと向かった。テキパキと応対してくれたのは、成田アメリア事務局長。成田事務局長に紹介され、同病院の理事で血管外科医である工藤ファビオ昭麿(あきまろ)医師に話を聞いた。
工藤医師は、元青森県会議員でアマゾンに移住した工藤一成さんの孫。堤さんは「当時議員さんの移住なんて珍しかったから騒がれたんですよ」と話す。
工藤医師は「弟の病気を当時ブラジルで治せなかったこと」がきっかけで医者を志し、パラー連邦大学医学部を卒業後、北海道大学へ国費留学した。さらに米国イェール大学へ招待され同大学でも2年間学んだという。
卒業後はフランスのアンリ・モンドール病院で働くなどグローバルに活躍している頼もしい医師だ。もちろん日本語も堪能で、毎月同病院で行われている高齢者向けの講演会でも日本語で話をしている。
そんな工藤医師が働く同病院の血管造影室では、血管撮影装置「Philips Allura Xper FD20 X線システム」を導入したという。「北部では最先端技術を導入できた。これであらゆる心臓や細かい血管の手術ができる」と工藤医師は喜ぶ。
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同病院では、日系病院であることをアピールするために、日本の風景の写真を廊下やエレベーターの中など、病院内に貼っている。病院食も日本食を出せるようにしているという。もちろん、日本語のできる医師も多く、現在は15人ほど。日本語ができない医者の場合は、通訳を付けて診察を受けることも可能だ。
また、昨年はJICAボランティアの本間結さんが初めて日本語教師として活動を始めた。「正直、他の病院よりも給料を高くするのは難しい。その分、日本語はどの職員でも無料で学ぶことができるなど、別の福利厚生に力を入れています」と成田事務局長は説明する。
今年3月には90周年事業として新棟を落成した。新しくできた病棟の個室は長期待機する付添人が食事できるスペースも設置した。今後も施設の充実にも力を入れ、日系病院としてのサービスを取り入れた病院経営を続けていく。
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1929年に初めてアマゾン移住が始まった時は、「緑の地獄」とブラジルに住む日本人からも恐れられたアマゾン地域。90年が経った今、移住者たちはしっかりと大地に根を下ろし自分たちを受け入れてくれた国に貢献している。見事に「故郷」となったこの土地で、いよいよ90周年の祭典が始まる。(終わり、有馬亜季子記者)