樹海

アラス氏の連邦検察庁長官就任は民主主義の後退?

アウグスト・アラス氏(Justica Viva/TV Justica)

 世界的にも珍しい「ブラジル式民主主義」を象徴する慣習を無視――ボルソナロ大統領が5日、次期連邦検察庁特捜局(PGR)長官(日本式に言えば「検事総長」)に、3人リスト(lista triplice)にないアウグスト・アラス副長官(60)を指名したことで、司法界に危機意識が高まっている。
 14日付2面で報じた通り、ラケル・ドッジ同長官が本日17日で退任するにあたり、「21世紀における人類の大きな課題は、民主主義を殺さないことだと思っている。民主主義は発展もするが、後退もする。世界情勢において、自由民主主義後退の兆候を感じ取っている。ブラジルではそんなことは起きて欲しくない」と記者たちに語った。(https://www.nikkeyshimbun.jp/2019/190914-21brasil.html
 興味深いことに、「大統領は3人リストから次期長官を選ばねばならない」とは法律に書かれていない。では、なぜ3人リストから次期長官を選ばないことが「民主主義の後退の兆候」になるのか。
 それは連邦検察庁長官という職務が持つ権限の強さにある。「ブラジルでただ一人、大統領を告訴できる権限を持つ」のが同長官だ。さらに言えば、88年憲法において連邦検察庁は、3権から独立した機関だと位置づけられている。どこかの権力の下部機関であれば、大統領、連邦下院議長、上院議長などを告訴しづらい。
 本来ならば、強大な捜査権、告訴権を持った政治家汚職撲滅の最終兵器的な機関だ。ところがフェルナンド・エンリッケ・カルドーゾ(FHC)大統領時代の連邦検察庁長官は「engavetador-geral da Republica」(連邦お蔵入り長官)とのあだ名で有名なジェラルド・ブリンデイロ氏が、95年から2003年まで4期の長きにわたって務めた。どんな嫌疑が湧いてきても見事にお蔵入りにしてしまい、上層部には容疑が降りかからないような印象が強い時代だった。
 そんな苦い経験を経て「権力の言いなりになってはいけない」との反省から生まれたのが、件の3人リストだ。連邦検察庁長官は、大統領が指名するからそうなりやすい。ならば全伯の連邦検察官が互選で相応しい人物を内部選挙し、もっとも仲間内から信任篤い3人のリストを大統領に提出し、そこから選んでもらうという提案をした。

連邦検察庁特捜局(Brunoslessa assumed, From Wikimedia Commons)

 連邦検察庁特捜局(PGR)の長官は、傘下に連邦検察庁(MPF)を従えており、そこに所属する連邦検察官たちが内部選挙をする訳だ。ちなみに、州レベルではこんな選挙はない。州知事が指名する。
 手続き的には、大統領から指名されなければならない。だが、指名される人物を自分たちが選挙で選ぶという形で、「検察の独立」という民主的システムを作った訳だ。
 だが、そのリストは最初無視されていた。3人リストは2003年からだと思われているが、この選挙を実施している連邦検察官協会(ANPR)サイトにある説明文(http://www.anpr.org.br/listatriplice)によれば、実は内部選挙によるリスト作成はFHC時代の2001年に始まっていた。01年にブリンデイロ氏は7位にすぎなかったのに、FHCは選んだ。今回のボルソナロには先例があった。
 ルーラ大統領は03年、選挙戦のライバルだったFHCを嫌う官僚側からの提案だからと好感し、初めてそれに応じた。そこから世界にも珍しい「選挙で選ばれた連邦検察庁長官」という制度が始まった。
 今回、ボルソナロ大統領はそれを無視した。だから「民主主義の危機」という意識が高まっている。

巨悪に攻撃的だったジャノー長官時代

ロドリゴ・ジャノー氏(Marcelo Camargo/Agencia Brasil)

 ドッジ長官の前任者、ロドリゴ・ジャノ―氏(任期13~17年)は歴代の中で最も攻撃的な長官だった。13年9月に就任し、翌14年4月からラヴァ・ジャット(LJ)作戦が始まったのは記憶に新しい。その成果を背景に2015年の連邦検察官内の選挙で圧倒的な支持をえて再び1位になり、ジウマ大統領に指名された。
 その後、2015年12月にエドゥアルド・クーニャ下院議長がジウマ大統領の罷免審査開始を受け入れ、翌16年8月まで怒涛の勢いで罷免が進んだ。その罷免の先頭を切って動かしていたクーニャ下院議長本人が、ジウマ弾劾の12日後にLJ作戦で追い込まれて議員罷免・逮捕となった。
 これらは全て背景にラヴァ・ジャット作戦による汚職撲滅への国民世論の高まりがある。その後押しをうけてジャノー長官は、元トランスペトロ総裁のセルジオ・マシャド氏による盗聴暴露を受け、LJ作戦を妨害しようとした疑惑でレナン・カリェイロス上院議長、ロメロ・ジュカー前企画相、ジョゼ・サルネイ元大統領の3人に逮捕請求したが、ファキン最高裁判事に認められなかった。
 だが2017年5月にJBSショックが起きて、それをテコに2度もテメル大統領(当時)の告発を試みた。この際にも、強引な司法取引があったとの印象は否めないので、いずれ暴露されるかもしれない。第2弾は退任間際、ちょうど2年前だ。
 17年6月13日の本樹海欄に、こう書いた。《「汚職」はブラジルに巣食う〃ガン〃であり、体中をむしばんで経済は末期的、致命的な状況。緊急手術をして〃病巣〃(汚職政治家)を全摘出(摘発)しないと手遅れになる―そんな危機感を司法界の若手エリートが抱いている。
 だがこれも行き過ぎると《司法至上主義》的な弊害も生まれる。そこの判断が難しい。メンデス長官の言葉を言い換えれば、「汚職は撲滅すべきだが、片っ端から主要政治家を摘発していったら、執政する人材がいなくなり、国政が混乱しすぎる。今はその時ではない」とも解釈できる。ガンの喩えに戻れば「身体から病巣を全部取ってしまったら、内臓がまるごとなくなって死んだ」状態だ》
 司法界の血気盛んな若手エリートたちが勢いづいてLJ作戦を遂行し、ジャノー長官がそれを材料に巨悪を追い詰める。この時代は、LJ作戦が一番輝いていた時代であり、同時に激動の2年間だった。
 そのおかげでジウマール・メンデス最高裁判事は17年8月7日、ジャノー長官を「検察庁史上最低」と評価した。

ラケル・ドッジ長官(Jefferson Rudy from Senado Federal)

 そのジャノー長官の後任を選ぶ際でも、テメル大統領は3人リストを尊重した。ただし、それまでは常にリスト1位が指名されてきたが、それでは「ジャノーの後継者」と目されていた人物になってしまう。それを避けて、初めて2位だったドッジ氏が「初女性長官」として選ばれた。
 ジャノー時代があまりに権力に対して攻撃的な時代だったので、後任としてのドッジ長官は比較的「落ち着いた時代」を過ごした印象だ。

LJ作戦の反動、ヴァザ・ジャット

 ただし、ボルソナロ政権になってからLJ作戦の反動ともいえる「ヴァザ・ジャット」が起きている。LJ捜査や裁判の強引な部分が明らかになり、現場の中軸を担っていたセルジオ・モロ判事やデルタン・ダラニョル検察官が、「職務権限を逸脱して特定の政治家を迫害していた」ような反発をまねいている。
 ただし、ヴァザ・ジャットの特徴は、ハッカーによる違法な情報収拾がそのネタ元になっている可能性が高いことだ。「ジャーナリズムが事実を明らかにするためには、犯罪も許されるのか」という根本的な問題がある。
 そしてLJ作戦の基本的な構図は、汚職にまみれた巨悪に、単なる公務員という弱い立場の人間が立ち向かっていた部分があった。巨悪には金も権力もあり、簡単に公務員の首を飛ばせる。そうさせないように、こっそりと慎重に捜査を進めて、メディアを通して捜査内容を暴露しながら国民の世論を味方につけて、次々に巨悪の内実を暴いていった。ただし、捜査内容を暴露するのは本来は違法だから、そこに蓋をするために「職権乱用防止法」を政治家が作り、LJ作戦が機能しないように図っている最中だ。
 ヴァザ・ジャットでは、中立であるべき裁判官モーロが、捜査に口出しや指揮していたという点などが問題になっている。たしかに「やり過ぎ」「職権逸脱」などの問題はあったが、「巨悪を暴くため」という大目的があった。LJの標的となった政治家や企業家、ペトロブラス幹部が私服を肥やしていたのとは大違いだ。同列に置かれるべきレベルではない。
 巨悪を暴く一番の武器がCOAF(金融活動管理審議会)とデラソン・プレミアーダ(DP)という司法取引だった。COAFはFHC時代の1998年に生れたが最初は役に立っていなかった。LJ作戦が始まってから本領を発揮するようになった。
 DPは2013年に生れた法律だ。そのまさに翌年からLJが始まった。これらに加えて、3人リストによって連邦検察庁内の巨悪を追い詰める自立性が活かされるようになった。
 昨年、ルーラを悪魔化するボルソナロの選挙キャンペーンの中で、PTを政権から追い落としたLJ作戦をさらに進める公約がなされていた。汚職を撲滅するために「政治交渉を一切しない」「政府の法案への賛成票と引き換えに、中央政府の役職を提供する取引を一切しない」などと公言してきたが、政権についたら逆のことばかり起きている。
 COAFは最初こそモーロ法相に属して強化されたが、すぐにその手を離れてしまった。COAF捜査がボルソナロ家(息子のカルロスやフラビオ)の方に向き始めたら、それを弱体化させる方に一気に動いた。COAFは経済省に移り、その後は独立機関としてのステータスすら失って、中央銀行の一部署に成り下がってしまった。つまり、上の目を気にしながらの捜査しかできない。
 ヴァザ・ジャットが始まってLJ作戦の権威がすっかりと落とされ、その間に連邦議会では「職権乱用防止法」が通されて、司法関係者が少しでも強引な手法をとろうとしたら、司法関係者の方が罰せられる体制が出来つつある。ボルソナロは口では「汚職撲滅」と言いながら、実際はまったく逆の方向に進んでいる。政治家の勝ちだ。
 ボルソナロは元々から軍政擁護派だったが「民主主義は大事にする」と皆が信じていた。だが、最近では「大統領である自分が決める」という権威主義的な物言いが目立つ。驚くことに、家族と公の区別がない。連邦政府の何の要職にもない息子たちが大臣以上の影響力を持っているようにすら見える。
 その流れの中、権力を見張る独立捜査機関である連邦検察庁の長官人事で、それまでの「民主的な伝統」を無視して、自分と同じ思想傾向を持つ人物を指名した。
 LJ作戦がこれで弱体化するのであれば、ブラジル国の将来にとって大きなマイナスだ。

「軍政民主主義」すら擁護するアラス氏

 では今回、ボルソナロ大統領が選んだアラス氏はどんな前評判の人物なのか。ガゼッタ・ド・ポーボ紙9月5日付サイトによれば、アラス氏は指名される今月5日を含めて、計6回もボルソナロ氏に面会した。《候補者の中で最も保守派で、最も思想的にボルソナロ氏に近い人物》と評されている。
 いわく《アラス氏は連邦検察庁という組織が憲法の規定する範囲を逸脱しないための〝混乱〟を弁護する。議員の不逮捕特権は神聖なものだと認識しており、連邦検察庁は〝法の上でも下でもない〟存在であり、ボルソナロ氏に同意して軍政民主主義(democracia militar)を擁護した》と書かれている。
 この《連邦検察庁が憲法の規定を逸脱しない》とは一見当たり前のように見えるが、平たく言えば「LJ作戦の中で往々にして見られた半ば強引な捜査をしない」ということだ。言い方をかえれば、ジャノー時代のような政治家を戦々恐々とさせる汚職捜査はしないと公言しているようなもの。政治家にとっては安心だ。
 この《軍政民主主義》という言葉に至っては、ほぼ意味不明だ。選挙という民主的な方法によって代表者を選ばずに、武力で社会を制圧して統治するから軍政のはずだ。
 だから、アラス氏の思想傾向を論じたフォーリャ紙電子版9月5日付のフレデリック・バスコンセロス氏のコラムには《アラス氏は〝軍政民主主義〟を信じると言う》との見出し。そのこと自体が信じられないというニュアンスだ。
 アラス氏は今月中に上院で試問を受け、正式に承認・就任となる予定だ。この段階で拒否されることはほぼないと言われる。というか、自分たちを告訴できる連邦検察庁長官という職務に、「大統領の盟友」が就くのであれば、政治家たちの大半は本心では大歓迎だろう。もちろん表面上は「連邦検察庁の独立性に関してどう考えているのか?」などと問いただすだろうが、それは〝儀式〟にすぎない。
 とはいえ、来年の地方統一選挙に向けて、選挙結果を一番左右するのは、残念ながらそのような「民主主義の危機」への意識ではない。経済が上向きになるかどうかだ。思想傾向が右であれ左であれ、経済がダメならば選挙で負ける。
 だから両院は必ず社会保障改革を通すだろう。そして税制改革にも手を付ける。だが、経済さえよくなれば民主主義が後退してもいいのか? その行きつく先は、中国のような一党独裁体制ではないのか。
 ボルソナロ次男のカルロス市議が言う通り、民主主義で国を良くするには時間がかかる。だが、それを嫌うことは根本的に間違いだ。じっくり時間をかけて幅広く議論をし、国民の意識レベルを少しずつ上げていくしかない。
 ちなみに昨年の選挙時、ジャノー元長官は「私はハダジに入れる」と明言していた。あれだけPT政権を追い詰めた人物だが、実はPTは連邦検察庁の独立性を尊重し、極力手を付けなかった点を評価したのか。もしくはボルソナロ氏には〝別の匂い〟があることを、その時点で感じ取っていたのかもしれない。(深)

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