聖母婦人会(畑中アリッセ会長)は終戦直後、日本へのララ救援物資を集めるためにドナ・マルガリーダ渡辺らによって1949年9月18日に14人の婦人によって創立され、カトリック信仰に基づいた社会福祉活動を続けてきた。今年、創設70周年を迎えたことからサンパウロ市のサンゴンサーロ教会で22日に記念ミサを行い、会員ら150人ほどが集まって祝賀フェスタをして節目の日を祝った。
午前8時から始まった記念ミサは、長年会に貢献してきた80歳以上の会員10人余りを先頭に、日本人形風の「暁の星の聖母マリアさま」像、聖母婦人会のシンボル、ドナ・マルガリーダ渡辺や武内重雄神父、久次マリオ神父の遺影を持った代表者らが入場行進し、祭壇の左右に設置された。
日本滞在12年で日本語が堪能なアントニオ・ジェニヴァウド・デ・オリベイラ神父が司式司祭を、司会役をカメガシマ・アルメリンダさん、オルガン演奏は石井葉子さんが務めた。日本語で聖書が読み上げられ、讃美歌が歌われた。
奉納祈願では、婦人会の奉仕活動を象徴する青いエプロンが供えられた。共同祈願では《主よ、聖母婦人会の70年の歩みを導いて下さり感謝します。これからも私たちが地の塩(腐敗を防ぐ塩のような社会的存在であれとの教え)、世の光として主から託された使命を、この世界で果たして行けますように、聖母婦人会のこれからの道を照らしてください》と読み上げられた。
ミサが1時間ほどで終わったあと、奥のサロンに移動してフェスタが始まった。ジェニヴァウド神父は「70年前に植えた種を、いま収穫している。この先の道はもっと厳しいかもしれないが、元気を出して続けていきましょう」と冒頭で呼びかけた。
カネガシマさんの解説により、70年間の歴史を数々の写真で振り返るスライドが上映され、会員らは食い入るように見入った。最盛時には一世を中心に200人もの会員がいた。その後、高齢会員や霊的指導をする神父ら約30人への感謝の記念品贈呈が行われ、ケーキカットとなった。
30年以上も活動に参加する瀬尾陽子さん(81、徳島県)=イビウナ在住=は、「この会は良い方ばっかり。イエスさまに支えられて一歩一歩歩いてきた年月だった」と振り返った。
1976年から参加する最古の会員、吉田ローザさん(69、二世)は「結婚してすぐドナ・マルガリーダから婦人会に入りなさいと誘われ、28歳で入会した。彼女はすごく優しい人で、『ブラジルのために尽くしなさい』と繰り返し言われた」と懐かしむ。また「フェスタの時は、子供がボーロとか食べ過ぎないように、先におにぎりを食べさせておきなさいと注意もしてくれましたよ」と笑った。
吉田さんは「終戦直後に困った日本の人を助けるために活動を始めた団体。ドナ・マルガリーダからは『憩の園を手伝いましょう』と言われ続けてきたので、今も忘れないようにしている」と次の10年に向けて決意を新たにしていた。
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聖母婦人会が創立以来、支援活動を続けている救済会に、初期の頃から務めていた「生き字引」吉安園子さん(91、二世)に、エスペランサ婦人会と聖母婦人会が同じ年に創立した理由を尋ねた。「戦後荒廃した日本にララ救援物資を送るために、元々は村上真一郎宅に皆が集まって活動していました。でもエスペランサ婦人会が発足したのを受け、カトリックの人たちも自分たちの会を作ろうという話になったと聞きました」とのこと。実際1949年8月17日にエスペランサ創立、約1カ月後の9月18日に聖母婦人会となっている。共に現在まで続いており、コロニア史における貴重な系譜を織りなしている。