トメアスーで行われたアマゾン日本人移住90周年式典には、パラー州各地からもお祝いに駆けつけた。
「彼女は第1回移民の娘なんだ」。故郷巡り一行の隣りに座っていた現地参加組の夫婦に話しかけると、ベネジット・サルマンさんが妻の市原トシ子レジーナさんのことを、第1回移民の市原津南三(つなぞう)さんとしもさんの娘だと紹介してくれた。
式典には、日ポ両語で書かれた家族の歴史の本を持参して出席した。本は「アマゾン日系移住先駆者 市原家の根源と足跡」と題され、中には市原家の歴史が写真付きで書かれている。
「今日の式典は、自分たちにとっても素晴らしいイベント。だからどうしても来ようって、ベレンから駆けつけたんだ」とサルマンさんは興奮気味に語った。
トメアスーは劣悪な環境から退耕者が続出したと聞いている。トシ子さんの家族がそのうちの1家族だったかは定かではないが、「緑の地獄」に苦しめられた人たちの子孫が、90年を経て発展した同地に戻ってきたのに感慨深い気持ちとなった。
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式典後の昼食会では、文協婦人部のお手製料理に舌鼓を打った。特に感激したのは、眞子さまご来伯時に特別に作られた「パヴェ・ダ・プリンセーザ」だ。山田康夫会長も気づき、「これが噂の!」と美味しそうに口に運んでいた。
この特別なデザートを作った久保田一美セリアさんに話を聞きに行くと、「やっぱりこれが喜ばれると思って、特別に作ったのよ」と微笑んだ。どこに行っても、婦人部の活躍には頭が下がるばかりだ。
「コチア青年でトメアスーに来たのはかなり珍しいと思うよ」。昼食時に会場で地元民と交流していると、今式典で活躍したトメアスー農業協同組合(CAMTA)の乙幡敬一アルベルト理事長の父、乙幡正三さん(86、東京都)がそう言い笑った。乙幡さんは、1957年1月17日にサントス港に到着し、4年間はサンパウロ州のエンブーグァスで働いた。
「パトロンと一緒にジャガイモを育てたんだけど、これが当たってね。金儲けが出来たから、これからどうしようかと考えていた。その時トメアスーからサンパウロへ来ていた農業実習生から、ここがいい場所だと聞いたんだ。それで今の奥さんの家で最初働かせてもらって、いつの間にか結婚してたってわけ」。
乙幡さんのように、同地にはまだ戦後移住の一世も多い。トメアスー日本人移民史料館の創立に関わり、式典で長年の活躍が表彰された角田修司さん(78、北海道)と梅沢保司さん(79、大阪府)も戦後移住の一世だ。
二人は、北海道札幌市にある「八紘学園」(現北海道農業専門学校)の卒業生。角田さんは農業移民、梅澤さんは技術移民として移住した。角田さんは早くからCAMTAの職員として働き始め、後に文協の事務局長も務めた。
角田さんは「パトロンに連れられて、昔の資料を色々と見せてもらった。それでこの地の歴史に興味を持ち、資料を趣味で集めていた」と語る。昨年の眞子さまご来訪時にも史料館の案内を担当し、「名誉なことだった」と振り返る。
しかし、90周年で表彰を受けたことには「自分よりも下の世代にもっと目立ってほしい」と複雑な様子。梅澤さんも「私たちは下の世代に大切なことを伝えられなかった気がする」と少し残念そうに呟いた。
上の世代が下の世代に任せて身を引くことが大事なように、次の世代も受け継ぎ方を考える必要があるようだ。世代を経る中で、価値観も考え方も変化していくが、変わってはいけない部分もあるのだろう。
今の世代のさらに次に変わった時には、一体どうなるだろうか?――そんなことに思いを馳せながら、騒がしい会場を後にした。(有馬亜季子記者)