ホーム | コラム | 特別寄稿 | 気候変動と燃えるアマゾン―文明のあり方を問う=サンパウロ市ヴィラカロン在住 毛利律子

気候変動と燃えるアマゾン―文明のあり方を問う=サンパウロ市ヴィラカロン在住 毛利律子

津波で流出し、太平洋を漂う家屋(2011年3月14日)。津波の引き潮により多くの行方不明者も出した(Airman 1st Class Katrina R. Menchaca [Public domain])

 2011年3月11日、私たちは日本列島の東北海岸一帯で起きた大津波が、人の営みを容赦なく一瞬にして押し流す自然の猛威による惨状を目の当たりにした。誰もが決して忘れることのできない恐ろしいものが、脳裏に刻まれた。
 それ以来、毎年と言っていいほど、台風による大雨、時季外れの豪雨によって山が崩れ、川が溢れ、家々が流される。その都度、逃げ遅れた高齢者が死亡する。
 数十年、営々として続けてきた家業の機械、店舗が泥まみれになり、後継者もない絶望的な老夫婦の姿…平和な日常生活が無惨に崩される様を目の当たりにしている。
 そして去る10月12日に日本に上陸した台風19号は「災害救助法適用自治体は13都県の317市区町村であり、東日本大震災を超えて過去最大の適用となった」と報道されている。
 わが祖国日本の風土に一体何が起きているのか、来年はどうなってしまうのか…。「出身県は大丈夫ですか」と聞かれて「お陰様で今のところは無事でした」としか答えられない。同じことが日本国中どこかで毎年起きているからである。
 かつて日本の四季の風景は、お正月を迎えてすぐに春が訪れ、新年度が始まる。その頃には、桜並木の櫻花が舞い、5月の若夏には小川のせせらぎを聞きながら土筆を摘み、大きな川の河川敷は、夏の花火大会で賑わい、秋にはスポーツを楽しみ、冬には凧揚げと、人々の格好の憩いの場であった。
 一日も早い復興を望むばかりである。

世界的気候変動は「人災」か

 しかし、今のヨーロッパを旅行したことのある人なら、現地の人から必ず聞くであろう言葉が、「少し前までヨーロッパはこんなに熱くなかった…この頃の風はまるで熱風で、それが一日冷めることが無い」と。
 今年になってから急速に「現在の気象変動は間違いなく人災である」という方向での動きが活発になったように思われる。国連の温暖化対策サミットでの、若干16歳のスウェーデンの女学生グレタ・トゥーンベリさんが強い口調で「大人のあなた方が私たちの未来を壊した」という演説が世界的に注目された。
 9月20日には150ヵ国で計400万人の若者を中心とするデモが行われ、政府や大企業に気候変動対策の強化を訴えたと報道されている。
 前日の9月19日の「世界主要機関投資家サミット」では、機関投資家が各国政府に対し注文を付ける共同宣言があった。それは、世界の主要機関投資家515機関が、そのための資金として3770兆円という途轍もない金額を計上したという。
 それには全米の大企業が名を連ねている。9月23日には、投資家だけでなく、銀行からも巨大な宣言があった。世界の131の銀行が立ち上げた「国連責任銀行原則」である。それは、銀行の融資が環境や社会にどのような影響を与えているかを自主的に測定して公表するというものである。
 署名銀行には、4年以内に6つの原則を完全に遵守することが義務付けられている。この内容に飽き足らず、自主参加131の銀行の内、35社が「機構アクションに関する集団的コミットメント」活動を始めた。
 これらの銀行は今後、3年以内に融資先企業でのCO2(二酸化炭素)削減目標を、パリ協定と整合性のある形で策定することが義務化され、毎年の進捗公表も必須となるという徹底ぶりである。
 これらの銀行が目標達成するには基本的に2つの選択肢しかなく、CO2排出量の多い融資先に削減を求めるか、融資を止めるか。それを参加銀行は責任をもって引き受ける意思表示をしたのである。
 実際に主要国の金融当局は、気候変動がリーマンショック、それを上回る金融危機が起きることを恐れて、トランプ政権率いるアメリカは不参加だが、ニューヨーク州金融監督局(DFS)が参加し、他、日本など42ヵ国が参加している。
 世界中の環境学者や研究者たちには、地球の自然現象は長い歴史の中で緩んだり氷河期、乾燥期を繰り返しているという議論もある。
 だが、予測不可能な未曽有の災害の一端は人災であるとの認識をもって、何はともあれ、巨億を有する世界の大企業や大銀行が、その金融リスクのために迅速で活発な対応をしてくれるのであれば、これほど心強いことが他にあろうか。

アマゾンが燃えている…

 2011年4月にサンパウロでの生活を始めてからというもの、「サンパウロの気候は過ごしやすく、果物は豊富で、人々は親しみやすくて…」ということを、当初はいささか自慢げに、日本にいる友人知人向けの挨拶にしてきた。
 それが、昨今の日本での災害報道を受けるようになってからは、そんな話は慎むようにしている。

アマゾン火災についてメディアを通して批判しあっていたマクロン仏大統領(左)とボルソナロ大統領が、G20会議で奇しくも隣りに座った(Palacio do Planalto from Brasilia, Brasil)

 そして8月下旬。「アマゾンの熱帯雨林に発生した火災での黒煙が2700キロも離れたサンパウロの空を真っ黒にしている」という報道を知った人々から、「ブラジル、大丈夫なの?」という電話を頂くようになった。
 ちょうどフランスで開催されるG7サミットに当たっていて、マクロン大統領は急先鋒となって、「皆さん、私たちの家が燃えている、地球の酸素の20%を作り出す肺が燃えている。これは国際的危機。緊急事態だ」とツイッターで呼び掛けた。
 だが、当事国のボルソナロ大統領は、「ブラジルの参加しないG7で森林火災問題を取り上げるのは見当違いの植民地主義的思考だ」と対抗した。その上、ボルソナロ支持者による若き大統領夫人とマクロン氏の夫人を比較して侮辱する低劣な発言まで飛び交ったことは、読んでいて恥ずかしくなった。
 ブラジルが世界の肺であるアマゾンの熱帯雨林を保有することは、国の誇りなのではないのだろうか。
 もし、この地球上でこの熱帯雨林が消えたらどうなるか。
 世界自然保護基金(WWF)の広報から引用してみると、世界の17~20%の水資源、10%に及ぶ世界の生物多様性、670万平方キロの熱帯雨林、3400万人の生活が失われることになる。
 即ち、この森が二酸化炭素を吸収することで、温暖化の進行抑制に欠かせない役割を担っているとのことである。

ブラジル国立宇宙研究所が公開した、衛星写真から見たアウタ・ミラ地域の森林火災の煙(Coordenacao-Geral de Observacao da Terra/INPE from Brasil)

 ブラジル国立宇宙研究所(INPE)の人工衛星での観測によると、ブラジルでは、今年1月から8月21日までに7万5000件以上の火災が発生したと報道している。
 一方、ボルソナロ大統領は、「熱帯雨林の大半を保護するために必要な『現代的法則』は十分整っている。あの地域には2千万人以上のブラジル人が住んでいる。その人たちに発展の機会を与えなくてはならない。保護だけすればよいというものではない。伝統的に今は乾燥期だ。特に暑い夏は山火事が増えるのだ」と自然要因を強調した。
 だが終局、欧州連合(EU)からの圧力を受けて、23日「軍人としてアマゾンの森林を愛することを学んだ。そのために、保護に協力したい」と火災鎮圧のために軍の派遣を許可することをテレビで演説した。

熱帯雨林保護運動家シコ・メンデスの死

シコ・メンデス(Miranda Smith, Miranda Productions, Inc)

 このような報道を聞いて思い出されたのが、アマゾンの小さな町シャリブの一介のゴム採取者であったシコ・メンデス(1944―88)のことである。
 彼は、自分の生活の場である雨林を守ろうと、労働組合を組織し、開発業者を相手に闘い続けるうちに、熱帯雨林保護の必要を訴える草の根環境保護運動の指導者として、世界にその名を知られることになった。
 しかし、森林を焼き払い、大規模な牧場開発を進める牧場主の雇った殺し屋の凶弾に倒れ、1988年12月22日に死亡した。
 メンデスの活動とその生涯を追ったドキュメンタリーが、アメリカの科学ジャーナリスト・アンドリュー・レブキン『熱帯雨林の死(The Burning Season)』が1992年に出版された。
 アマゾン開発に伴うゴム採集者と開発業者、森林保護活動を巡るアマゾン開発の熾烈な闘い。メンデスがマスコミによって「環境保護活動家」として作り上げられ、「世界の肺」を守る闘士となっていく中で、国外で名声を博し、アマゾンでは敵を増やす結果となって死んだ一人の素朴な森林の住人の運命を学んだ。
 そして、アマゾン雨林の中の「白い涙を流す木(白い黄金)」ブラジルゴムの木のことと、その歴史を詳しく知ることができた。
 その頃、「地球は一つ・地球村・グローバル化」という標語を頻繁に目にするようになり、1992年6月にはリオデジャネイロで「地球サミット(環境と開発に関する国連会議)が開催された。
 この会議の特徴の一つとなったのが政府や国際機関の他に、多くの環境保護団体などの非政府機関(NGO)からの参加者が集ったことである。この会議の開催の遠因になり、ブラジル熱帯雨林に世界の耳目を集めたのが、メンデスの活動であった。
 1985年、メンデスは生まれて初めてアマゾンを離れ、ゴム採集者の全国大会の資金集めにブラジリアに赴いた。その僅か2年後の1982年3月に、マイアミで開催されたアメリカ開発銀行総会に陳情のため、初めて国外に飛んだ。同年の9月には環境保護運動に貢献した500人の一人として、国連の「グローバル500」を受賞、9月にはベター・ワールド協会からも賞を授けられた。
 無名のゴム採集者が、なぜこのような名声を得たか。この背景について著者は次のように述べている。
 当時、ゴム採集者たちはアメリカの環境保護家達がアマゾンに関心を示すのが理解できないばかりか、強い警戒心を抱いていた。
 しかし、メンデスは早くから海外の強力な環境保護団体の後ろ盾を得ない限り、採取者・先住民インディオとの間に協力関係を打ち立てない限り、アマゾンを守る闘いが強固なものと成り得ないことを悟っていた。
 外国からの支援を受けることにより、紆余曲折の後、メンデスと採集者組合運動の存在によって、ブラジル政府は、アマゾンを守る闘いが外国エコロジストの内政干渉と見なすことはできなくなったことを認めるのである。
 メンデスが殺害された1988年、世界的に環境異変報道が加速し、アマゾン熱帯雨林で燃え上がる無数の火の塊を人工衛星の精密な画像が捉え、世界中が目撃した。
 世界は初めてアマゾン熱帯雨林の消失による温室効果といった地球全体の生態系への深刻な影響を認識するようになったのである。
 事件発生からの数カ月の間に、世界中からのテレビ局、ジャーナリストが押し寄せ、本が書かれ映画化された。メンデスは活動の途上で死んだ。だが、その死は、今日の環境問題の解決には政治的、経済的力とグローバルな早急な取り組みの実現が必須であることを示唆している。

真の文明は
山を荒らさず
川を荒らさず、
村を破らず、
人を殺さざるべし

田中正造(Public domain)

 この歌は、明治23(1890)年第1回の衆議院議員に当選した、栃木県佐野市出身の政治家・田中正造(1841―1913)が詠んだ歌である。
 初当選した年に渡良瀬川が大洪水で氾濫し、上流にあった足尾銅山から流れ出した鉱毒によって下流の稲田の稲が経ち枯れる大被害が起きた。
 当時、明治政府は列強と肩を並べるため、国策として領土拡大他国の植民地化を進めようとしていた。銅は絹とともに外貨を稼ぐ最大の商品価値を有していた。
 足尾銅山は40―50%を占める生産率で国内第一であった。政府はその富で軍備強化し、アジアへの領土拡大を画策した。
 「戦争は犯罪である。世界の軍備を全廃するよう日本から進言すべき」と、田中は公害被害を訴える活動を始め、明治政府に迫ったが聞き入れられず、遂に、帝国議会開院式から帰る途中の明治天皇に直訴したが、警備に取り押さえられて失敗した。
 その後、田中は全財産を投げうって鉱毒反対運動を続け、71歳で亡くなったときの財産は無一文であったという。(参照・田中正造ホームページ)
 今起きている台風19号による被災地の一つ、栃木県佐野市は田中の故郷であった。
 生態学や環境学を学ぶ中でこの歌に出会い、以来、私は田中正造に強い尊敬の念を抱いている。この歌を想うたびに、昨今の天変地異は、まさに人間社会の便利さと繁栄追及の結果の「人災」であるとの警告として響いてくる。
【参考文献】
◎『熱帯雨林の死』1992年、早川書房、著者アンドリュー・レブキン
◎Amazon fires:Brasil sends army to help tackle blazes
◎BBC.NEWS https://www.bbc.com/news/world-latin-america-49452789
◎田中正造研究グループhttp://www8.plala.or.jp/kawakiyo/kiyo42_01.html