アマゾナス劇場の中に入るまでは、しばらく外で待機した。故郷巡り一行の中には、連日忙しい日程をこなしているため、疲れた顔で開場を待つ人も。そのまま30分程が経ち、ようやく中に入ることができた。
地元のスタッフが出迎え、式典参加者らを劇場内に誘導する。その中には、西部アマゾン日伯協会の会長で、祭典実行委員長を努める錦戸健さん(68、石川県)の姿もあった。
錦戸会長は、1958年に7歳でブラジルへ移住した。移住した理由は、「父が満州の開拓指導者で、日本より海外で働きたい思いがあったから」。ブラジルの学校を卒業し、日ポ両語を使いこなす、同地では稀有な存在だ。
日伯協会の会長は57歳の時に引き受け、今年で6期12年目。だが、「40代の若手は着実に育っている」と次の世代にたすきを渡すつもりだ。
西部アマゾン地域では、日伯協会、アマゾン高拓会、アマゾナス日系商工会議所、マナウスカントリークラブが祭典実行委員会を構成している。特筆すべきは、日系進出企業の駐在員との距離が近く、協力し合い仕事を進めている点だ。
後ほど会った商工会議所の後藤善之会頭(51、京都府)によれば、「町が小さいのでチームワークを作りやすい」という。日伯協会と同じ建物に商工会議所の事務所を構え、さらに所属企業も58社と多くはない。
後藤会頭は「もちろん3年前に赴任した時は、自分がこういった役割を担うとは思っていなかった。でも日系人の方々がいるので、私達は仕事ができていると思っている。それにここで働かせてもらっている以上、地域に貢献しなければと思っているんですよ」と続けた。
そもそも同地の日系人口は、錦戸会長によれば「推定1万人」と少なく、日伯協会の会員も徐々に非日系人が増えている。人数が少ない分、地域社会に貢献する事は必要不可欠だ。
今の日伯協会の目標は、「日本人・日系社会の良い所をさらに伝えること。日本人は戦前、ゴム景気が衰退した頃にジュートを成功させた。フリーゾーンになった後は、日系企業が商業でブラジルに貢献している。それ以外にも良い点を伝えていければ」。
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アマゾナス劇場内は、豪華絢爛という言葉がピッタリだ。以前訪れた、フランスの首都・パリのオペラ座を思い出す。上は3階まで座席があり、天井にはシャンデリアのような照明でキラキラと輝いている。
会場内を歩いていると、入り口で待っている間に少し話した地元民の野澤須賀子さん(72、石川県)の顔が見えた。マナウス在住で、11歳の時に渡伯したという。
「父親が海外に憧れて、植民地の募集に応募したの。それで家族6人で移住してきたのよ」と自分の人生を話し始めた。(つづく、有馬亜季子記者)