マナウスの夕食会は夜10時頃まで続いたため、連日ハードなスケジュールをこなす故郷巡り一行は、残念ながら途中でホテルに戻ることになった。
だが記者は居残り、90周年事業のためにわざわざ来伯し、故郷巡りの一員としてベレンとトメアスーでも自作の「アマゾン日本人移住90周年記念バラード」を披露してきたZenkyuさんのショーの出番を待ちながら、地元民と僅かながら交流の機会を持った。
上塚司の孫、芳郎さんの方へ目を向けると、高拓生の子孫で構成されている「高拓会」(佐藤ヴァルジール会長)の一人、丸岡ロベルトさん(72、二世)と話していた。丸岡さんは、高拓4回生の丸岡京さんの息子で、ベレン在住で汎アマゾニア日伯協会の丸岡義夫副会長の従兄弟だという。
丸岡さんに依頼し、高拓会のメンバーを呼びかけてもらうと、二世を中心に会員らが集った。「次世代はいるのか」と佐藤会長に尋ねると、「若い人たちも入ってきていますよ。彼女は先日理事になりました」と三世の若い女性を指差す。
さらに、その腕には子供が抱きかかえられており、「この子が四世だから、次の世代も安心でしょう」と優しい口調で語る。高拓生の歴史を継承し、自分たちのルーツを後世へ続けるこの会は、彼らの世代にも役立つものになるはずだ。
そう考えていると、ついにZenkyuさんの出番になった。13歳でアマゾンに移住した戦後移民・垣添惠子さんをモデルに作った「この地に舞い降りたのは」を、ギターの弾き語りで熱唱し始めた。
《夢の大地があると聞いて/胸の鼓動が高ぶった朝/幼い心の行く先は/きっと明るい場所に違いないね/ただ広い空を眺めていた/濁った水も赤い大地も/いつか僕のこの小さな手で/必ず変えてみせるから》
西部アマゾン日伯協会が作った90周年記念動画の中に登場したベラ・ビスタ移住地在住の橋本博美さんは、「2年間でほとんどの移住者は立ち去ってしまった」と語っていた。アマゾン特有の病魔に苦しみ、サンパウロやパラナに転住した人は数え切れない。
7歳で移住した錦戸会長は、日本が高度経済成長期を迎えた頃、「日本はすごい国なのに、なんでお前はブラジルにいるんだ?」と言われた。どの移住地でもアマゾン移住者は熱帯病に罹り、ここは「緑の地獄」と呼ばれた。
それが、90年を経た今、移住者とその子孫は、90周年記念動画を『緑の天国(O Paraíso Verde)』と名付けた。その理由や想いは、Zenkyuさんをじっと見つめる錦戸会長たちにとって、次の歌詞の通りかもしれない。
《この地に舞い降りたのは/ちょっとした神様のいたずらだったとしても/おかげで手に入れたのは/かけがえのない家族の絆とそして今》
「けして辛いことばかりではなかった」――そんな子ども移民の心情をほのぼのと歌う詞に、目を潤ませる移住者もいた。
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16日、いよいよ最後の観光日となり、一行は朝からアマゾン観光のハイライトである二河川合流点(エンコントロ・ダス・アグアス)へ向かった。
二河川合流点は、マナウスから下流にあり、ネグロ川とソリモインス川が合流する場所を指す。黒いネグロ川と黄土色のソリモインス川の水が混じり合わず、はっきりと境界を見ることができる。
ネグロ川は冷たく酸性が強い水に対して、ソリモインス川は少し温かくて泥っぽく、魚も生息している。「この水温と成分の違いから、何キロにもわたって混ざり合わないらしい」と山田康夫団長が教えてくれた。(つづく、有馬亜季子記者)
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故郷巡りに同行した、アマチュア歌手のZenkyuさん(本名=小川善久)。本業である「漢和塾」の経営の合間を縫い、作詞作曲したアマゾン90周年記念バラード「この地に舞い降りたのは」と、110周年を記念した「百と十年の轍(わだち)」の2曲を引っ提げてトメアスー、ベレン、マナウスの3カ所で歌った。しかし故郷巡り一行が歌を聞けたのは、ベレンのみだったのが少し残念。だが移民の心を揺さぶる歌詞に、しっかりとファンがつき、CDを購入する人がいただけでなく、「次はぜひグァタパラの入植祭で歌って!」と猛アピールを受けていた。既に来年の公演予定が決まりそう?乞うご期待!