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《ブラジル》米国の別荘でググが事故死=国民的人気博す名司会者

人気司会者のググ・リベラート(Deividrobertyy)

 40年近くにわたりブラジルの茶の間をにぎわせてきた人気司会者ググ・リベラートが22日、米国の別荘で起きた事故により、60歳で亡くなった。所属メディアを超えて幅広い報道が行われており、国民的な人気を博していたことが伺われる。25日付現地紙が報じている。
 23日付本紙でも報じたとおり、ググは20日、米国フロリダ州オーランドにある別荘で、屋根裏の冷暖房機器の修理を行なっている最中、梁のない天井部分を踏み抜いて4メートル下に落下した。その際、家具の角に頭を打ち付けて脳内出血を起こして意識不明の重態となり、病院に運ばれたが、2日後の22日に脳死が発表された。
 1959年にサンパウロ市で生まれたググは早熟で知られ、14歳の時に名司会者のシルヴィオ・サントスに「自分はこんな番組が作りたい」と手紙を出したことがきっかけで芸能界への道を開いた。
 司会者としてのデビューは22歳だった1981年、シルヴィオを社主として開局されたSBTの歌番組だった。翌82年には早くも自身の看板歌番組「ヴィヴァ・ア・ノイテ」の司会を担当。これが10年続く人気番組となり、一躍有名になった。
 シルヴィオとの師弟関係は長く続き、1991年から96年にかけては土曜日の音楽番組「サバドン・セルタネージョ」、そして93年から2009年の16年にわたって、日曜夜のバラエティ番組「ドミンゴ・レガル」の司会を務めた。同番組は国内最大局のグローボの名物長寿番組「ドミンゴン・ド・ファウストン」のライバル番組として、長きにわたって知られた。
 2009年に、30年近く籍を置いたSBTを離れてレコルデ局に移籍。そこで、自分の番組「プログラマ・ド・ググ」を2013年まで、2018年から現在までは同局で「パワー・カップル・ブラジル」の司会をつとめていた。