両親にそのことを朝市で会ったとき、話したほうがいいと思っていた。その機会がきて、「お宅の息子さんの成績はとてもいいのですが、ポルトガル語を少し直したほうがいいと思います。町での生活になれるのに障害となるかもしれません」と告げた。
正輝はファニー先生の忠告は的を得たものだと受け止めた。彼女はだれにでも誠実な人だと知られていた。学校で息子を特別扱いしてくれる。その上、彼は明治生まれの日本人だから、先生を尊重する意識が高かった。将来、国を担っていく子どもたちを育てていくのは先生方なのだ。息子に対する先生の注意は聞き流すことのできない尊重すべきことなのだ。そのとき、「今後、家ではポルトガル語だけで話そう」と決めたのだった。
しかし、それを実行するにはかなりの覚悟が必要だった。まずはじめに、家庭の習慣から変えなければならない。学校から帰宅し、ジャカランダのテーブルの周りで、子どもたちは学校のことを話題にした。今までは日本語を使っていたが、これからはポルトガル語で話すことになる。
子どもたちが内地の日本人の子に仲間はずれにされないよう、家の中では沖縄語を使わせず、きれいな標準語で話すようにさせていた。両親だけが、出身地具志頭の方言を使っていた。子どもたちがブラジル社会に溶け込むにはきちんとしたポルトガル語を話さなければならないと気づいたのだ。
適応性ある人間にならなくてはいけない。ブラジルに移り住んで30年間、障害、不測の事態の連続だったから環境には順応しやすかった。もっとも、政治に関する信念は硬かった。ただ、拳骨をナイフの先にあてるような無茶はせず、状況をうけとめ、その状況から順応できる力を吸収した。それは柔道家が相手の力を利用し技をしかけるのに似ていた。家で子どもたちにポルトガル語を話させ、いっしょに勉強すると同時に、その習得ぶりを観察した。そのうちに正輝は政治地理と世界経済の知識を深めていった。
家庭でポルトガル語を話させることは、自分もポルトガル語をスラスラ話すための勉強にもなった。房子ももっと話せるよう努力したが、それまで何年も使ってきた日本語式発音で言ってしまう。ポルトガル語の単語の間に母音を入れてしまうので発音がおかしくなる。日本語とポルトガル語のごちゃ混ぜで、混種語になってしまう。だから、自分の子どもにしか分らない。子どもたちは房子の発音をオオムのようにその通りに言えるのだ。例えば「O que é esta coisa?」は「U kee ee este Kooija?」となる。これではブラジル人の話し相手は、房子がなにを言っているのか分らないのは当然だ。
正輝のほうはポルトガル語の音節のあいだに母音を入れるくせは抜けなかったが、以前よりずっとよくなった。だが、はじめて食べたときから好きになった「モルタデラ」はまだ正確に発音できなかった。今でもよく買うのだが「モルタデラ」を「モルタンデエラ」と言ってしまう。「メルダ(糞ったれ)」という卑語も「メエルダ」となる。当時、口に出すのは恥ずかしい、しかし、よく使われた「プタ メルダ!(こんちくしょう!)」も良識ある人が使う「プッシャ ヴィダ(大変だ)」と混合して彼独特の言い方「プッシャ メエルダ」となる。しかし、たいていはポルトガル語の文法に基づいて文を作り、それをきちんと発音した。
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