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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(191)

 初めの晩、家族をジャカランダのテーブルの周りに呼び「上り口説」を沖縄弁で歌った。
たびぬ´ んじ たちくわあんぬんどー
しんてぃくわぁんぬんふし
うぅがいでぃ くがにしゃく 
とぅてぃ たちわかる
 
 この曲は18世紀ごろ、沖縄伝統音楽のベートーベンといわれた屋嘉比朝
寄(1716─75)が作曲したものと言われる。歌詞はすでに1609年から島津藩に属していた琉球の高官が薩摩の本拠地に向う旅路の歌だ。首里を出立するさい、観音堂で旅の幸運を祈り、現在の鹿児島、薩摩までの旅路を画いている。

 国内の政治に関しては、正輝はアデマールが率いるPSP(社会進歩党)をおしていた。彼は大衆の機嫌を取るタイプの政治家だった。善良なみんなの友だちで、数々の約束はするが、計画性に欠けていた。形式ばったことが嫌いだ。
 議員が気取った文章で書かれた演説文を読んでいると、うんざりして「うちに帰ってから読むから」といってやめさせた。妻はレオノールといい、まわりの者から、賢明な夫人だといわれる評判の妻だった。夫は女性の投票を獲得するため、「妻、レオノールだ」といってみんなに紹介し、適当な機会とおもわれるときには彼女の行動や意見をみんなに伝えた。
 正輝は最近行われたアララクァーラの市長選挙で同じ党のジョゼー・ドス・サントスを応援し、結局彼は市長に選出された。正輝はこの選挙運動に尽くした礼として、アララクァーラ支部の「アデマール党派の旗印」を受け、696番「日伯部」と登録された。とはいっても受けた側は日本人で選挙権がないのだから、法律的に見れば何も意味をもたない。だが、当地内での政治活動に有利だったのは確かだ。正輝は町の有力者とつながりができた。それだけではない、町の政治に口が出せるようになったのだ。
 ある時期、彼はアデマール派から遠ざかろうと思ったことがあった。彼の応援する市長が選挙選に勝つためPCB(共産党)に接近した。リーダーのルイス・カルロス・プレステスとある協定を結んだ。正輝はこの協定により、サンパウロの議員席を増やすことができたのではないかと疑った。それが恐怖感を呼んだ。共産主義、共産党という言葉を耳にすることもいやだった。共産主義を耳にするだけで、精神的な蕁麻疹をおこした。
 正輝は社会主義と共産主義を離して考えたことはない。1920─30年の間の軍国主義日本に反対して、討論し、なかには自ら進んで死んだ共産党員もいる。
 アジアへの進出に反対し、日本が中心となり、世界を一つの家にするという「八紘一宇」の考えを拒んだ。「八紘一宇」神聖なる天皇が考え日本帝国が培ってきた考えで、相手の国を破壊することではなく一丸となった生きようという考えなのだ。国の指導者が革命を推進したことがあるだろうか? 共産主義は今まで正輝が信じていたことを全て否定しているのだ。
 その上、共産主義といえばすぐロシアが頭に浮かぶ。長年の日本の敵国だ。 今世紀はじめ、植民地や地域拡大を巡って、対ロシア戦争がり、日本が勝利を収めた。その時期から次々に偶発事故が発生した。大戦が終って間もない。