今年が何の年か、読者諸氏はお分かりだろうか…。実はコラム子も、坂尾英矩さんから先日もらった年賀メールを開くまで、すっかり忘れていた。
坂尾さんのメールには「本年は日伯修好125周年ですからルァ・ケンジ・ヤマザキを何としても実現させたいと覚悟しています」とあったのを見て気付かされた。
今年は「日伯修好125周年」だ。だが昨年末から新年の間の数々の日系行事でも、その話は一度も聞かなかった。
日本とブラジルは1895年11月5日にパリで、曾禰荒助駐仏日本公使とガブリエル・アルメイダ駐仏ブラジル公使が「日伯修好通商航海条約」を調印して外交関係を樹立した。
1897年2月に批准書交換が行われ、リオ州ペトロポリスに日本帝国公使館が設置され、8月には初代公使として珍田捨巳が着任し、正式な国交が始まった。
この修好条約締結によって移民の送り出しが可能になり、公使館設置の11年後、1908年の笠戸丸移民が実現することになる。
坂尾さんのいう「ルァ・ケンジ・ヤマザキ」とは、本紙で2013年1月から2月に掲載された連載《戦後移民60周年=聖南開拓に殉じた元代議士/山崎釼二》のことだ。
山崎は、戦前に労農運動家から始まって国会議員に登りつめ、大戦中にはボルネオの県知事に任命されるなど一世を風靡した。そこで出会った現地の混血娘アインと結ばれて子供をもうけ、終戦後に正妻が待つ日本へ連れて帰国したことから〃二人妻事件〃として世間を大いに騒がせた。
その二人妻事件は、高峰三枝子がヒロイン役を演じた映画『南十字星は偽らず』が制作されるほど有名になった。だが、山崎は政治家に返り咲くことができず54年にブラジルに移住していた。
当時、坂尾さんは聖市の山崎宅に居候していた縁があり、その恩に応えるために山崎名を街路に付けるべく、10年以上前から南サンパウロ地方の市長らに働きかけている。それを「日伯修好125周年を機に実現させたい」と語っているわけだ。
5年前は「日伯外交樹立120周年」という名称で盛大に行われ、秋篠宮同妃両殿下が10月にご来伯された。サンパウロ市、パラナ州都クリチーバ、ロンドリーナ、ローランジャ、マリンガ、マット・グロッソ・ド・スル州カンポ・グランデとパンタナール、パラー州ベレン、ブラジリア、リオの計10カ所を訪問されたのは記憶に新しい。
それを記念して2月のサンパウロ市カーニバルには、青森県五所川原市から本場の巨大立佞武多が運び込まれてパレードした。さらに9月には165万レアルの大枚をはたいた花火大会、イビラプエラ公園の日本館修繕も記念事業として行われた。
今回は10年ごとの大きな節目ではなく、5年ごとだから盛大でなくてもいいだろう。だが、県連日本祭りや何かのイベントや式典の折には、ぜひ記念した何かをしてほしいところ。今からでも間に合うことを、ぜひ考えてみては?(深)