高橋暎子(えいこ)第2歌集『とつくに茫々』が昨年11月に刊行された。「とつくに」は異国、「茫々」は果てしなく広いの意。1998年から現在までに作られた1千首のうちから厳選した860首が掲載されている。
高橋さんは「身辺整理のつもりで、ガラクタ短歌を並べてみようと思って歌集を作った。私の歴史の全てがこの中に入っている。10年ほど前と一昨年、2回も強盗に入られました。その体験談も。お祝いの言葉を書いてもらった峯村さんからは『ずいぶん波乱万丈な人生を送ったね』と言われました」と微笑む。
その間、娘も病気で亡くした。その心境を詠った作品、たとえば《小さき呼気ひとつ残してみまかりぬ四十五才の命の終焉》などがズラリと並ぶ。心を癒やすためにひたすら作ったのかもしれない。
高橋さんは1940年に山口県山口市で生まれた。56年、親に連れられて15歳で移住。「来たくなくてゴネました」と振り返る。《コロノの家わが家と思わず幼ごはうちへ帰ろうと母の袖を引く》という作品は、伯父の家族の話を聞いて作った作品だが、深い共感がこもっている。
1962、3年頃に文協で経理事務員として働いた時、文協の年鑑『コロニア』を編纂していた武本由夫さんの手伝いをした際、武本さんから「あんた短歌をやらんか」と誘われて始めた。
高橋さんは後書きにこうまとめる。《六歳で引き揚げ難民として祖国に引き揚げ、十五歳で両親の意思によって連れて来られた私は、移住して以来、移民とは何か、生きるとは何か、人間とは何かを常に問い続けてきました。私の短歌の師である武本由夫先生は「なぜ短歌を作るのか、それは人間とは何ぞや、の追求である」と仰せられました。私はそれに、移民とは何かを加えたいと思います》という気持ちを40年間心がけている。
《再びは聞くことのなき穏しき声棺の中に口固く閉じ》という作品からは「人間とは―」の問いかけが感じられる。
若い頃から社会や政治に関心があり、ブラジルの腐敗した政治や緊迫した世界情勢、祖国日本へのやみがたい郷愁の想いがあちこちの歌に込められている。《寒風に半袖ひとつで蹲(うずくま)る路上の子らを見よ大統領》もそのひとつ。「櫻井よしこさんに憧れている。身辺のちまちましたことより、社会のことを詠うのが好き」と笑う。
《3・11以降にっぽんは変わりましたという便り変わらぬ日本を恋いいる者に》。日本を離れたくなかったのに移住した体験は一生に影響を残すようだ。
この本は、日本のかつてのクラスメートや子や孫のために少部数しか製本していないという。もしも読みたい人がいれば、本人まで連絡(Caixa Postal 465 – Sao Roque – SP – CEP 18130-970)を。