「ブラジルに栗を食べる習慣を」――ミナス・ジェライス州南部ポウゾ・アレグレで和栗を生産する大農場(ファゼンダ)を営む雨貝久(あまがい・ひさし)さん(83、茨城県)。栗を食べる習慣があまりないブラジルで、栗を普及させるべく、加工・商品化にも取り組むなど、日々奮闘している。雨貝さんの実家も栗農家で、茨城県は全国一の栗の生産県だ。
雨貝さんは80ヘクタール余りの土地を所有。約半分を開墾して農地にし、20種以上、約1万本の和栗を中心に、トウモロコシやマンジョッカ(キャッサバ)などの野菜も栽培する。
1958年に渡伯してから60年ほど農業に従事するが、栗生産を本格的に始めたのはここ10年。それで一昨年は山本喜誉司賞を受賞した。
「現在の生産量は40~50トン。これを5年以内に100トン以上にして、最終的には200トンを目指す」と力強く目標を語る。
栗の木は3年目頃から実をつけ、5年目頃から本格的に収穫でき、8~10年で木として成熟する。収穫は11~1月頃。この農場は若い木も多く、生産量を急速に伸ばしている最中だ。
雨貝さんによれば、ブラジルでは欧州系移民子孫がクリスマスに栗を食べるが、年間を通しての需要は極めて低い。市場には欧州から持ち込まれた品種が流通しているが、需要の低さから販売量自体が少ない。「クリスマス前には高値で大量に売れるが、品種によっては収穫がクリスマス後になるものも。そうなると売れない」とこぼす。
またブラジルでは、日本と異なりきんとんやモンブランのような加工商品がほとんど見られず、多くがゆで栗のまま食べられる。そこで雨貝さんは商品開発にも挑んでいる。
雨貝さんは市内の自宅に貯蔵庫と作業場を併設し、出荷作業や商品開発などはここで行う。現在製造しているのは、栗をペースト状にし、真空パックに入れて冷凍したもの。これがきんとんやモンブランの材料となる。「こうすると1年ほど保存できるから、年間を通して商品を供給できる」と利点を話す。
昨年には岐阜県の栗加工場を視察。「商品が年中売れており、農家も安定収入を得ている」と確認した。「この仕組みをブラジルでも作りたい。そうすれば、商業的な可能性を見込んだ日系企業が進出し、日本との収穫時期の違いを生かして日本への輸出ができ、栗農家も増えるのでは」と話す。
雨貝さんは娘を中心に30~50家族の全伯栗生産者ネットワークも構築し、定期的に集まったり、ネット上で情報交換を行っている。
現在は息子と農地を管理し、孫も農作業を手伝う。卸売業を営む娘が販売に協力し、一家で栗普及に挑む。83歳になる雨貝さんだが栗の事業は始まったばかり。「まだこれからだ」と屈託のない笑顔を見せた。
雨貝さんは1937年生まれ、58年に20歳で県人会呼び寄せにより渡伯。最初はサンパウロ州ピンダモニャンガバの県人会所有の農場で2年働き、次にミナス州カンブイでジャガイモを栽培する当時の同県人会会長の下で農業経験を積んだ。その後カンブイで独立。62年に現農場へ移った。
80年頃にサンパウロ州スザノ市の農家から和栗の苗を譲り受け、試験的に栽培を開始。その後日本からも和栗を持ち込んだ他、既存種の和栗に手を入れ独自に品種改良を行うなどして、ブラジルを代表する栗農家となった。
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ミナス・ジェライス州で栗栽培を行う雨貝久さん。渡伯後、1964年に一度帰国し、1年の滞在中に現在の妻と出会い、結婚式を挙げてから翌65年に2人でブラジルへ戻った。結婚に際してはなんと日本のテレビ番組で式を挙げ、東京都の有名ホテルで盛大に催されたとか。ぜひ映像を見てみたいところ。
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ブラジルでは日本と異なり栗の商品開発が進んでおらず、需要もまだ低いため、農家自体が少なく、雨貝さんによれば「商業的成功の可能性を秘めている分野」だとか。依然不安なブラジル経済。加工込の栗農家として一旗揚げてみるのも良いかも?!