ホーム | 文芸 | 連載小説 | 臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳 | 臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(203)

臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(203)

 もっと重要なのはこの道は、銅像広場とコロネル・アルフレッド・フラッケル街を結ぶ道で、そこを通りほかの区に行ける。また、カプアーヴァ地域やマウア、リベイロン・ピーレス市に行くにもここを通らなくてはならない。その上、松吉家にとってもう一つ都合のいいことがあった。店の後ろが住宅になっているのだ。店の横にドナ・マリア・ガイアルサという歩行者専用の細い道があってフェルナンド・アルバーレス・デ・アゼヴェード街に抜ける。その抜け道に住宅の入り口があるのだ。
 1950年から51年に変わるとき、正輝は16歳になる長男をサントアンドレで仕事につけようと考え、相談にのってもらおうと松吉じいさんと友だちの稲嶺盛一のところに行かせることにした。引っ越すまえに、そのリスクや可能性について、また、援助してもらえるかどうかを知るためだった。
 ところがちょうどそのころ、すでに長男ヨシアキが仕切っていた樽叔父の家族も同じようなことを考えていた。ヨシオがサントアンドレに送られ、ほんのわずかの間だが、松吉の家に泊めてもらい朝市の売店を買うか、借りるかを検討していたが、けっきょく、短期間では商談はまとまらず、サンカルロスに帰っていったところだった。

 時をおなじくして、アララクァーラでは、アデマール・デ・バーロスを迎える市民集会が開催された。正輝のお気に入りの政治家で、選挙権がないのに、彼の支援団体に加入していたほどだ。場所は市外のグァラニー大通りで、長いこと集会には参加していなかったが、長男を連れて行くことにした。
 町にばらまかれたパンフレットには、アデマール派が支持する州知事候補のルッカ・ノゲイラ・ガルセスの集会と書かれていた。彼はサンパウロ工科大学の教師で、白い髪の毛が剛い男だった。もっとも、正輝が関心をいだいていたのは、もうすぐ任期をおえ上院議員に立候補するアデマール・デ・バーロスだった。
 この集会のあと何日か経って、マサユキがサントアンドレに送られた。そのころの旅行はたいてい汽車を利用したので、アララクァーラからサンパウロのルス駅まで行った。同じルス駅からサントアンドレ行きの汽車が出る。ルス駅で切符を買いそこからサントアンドレ行きに乗り換えるだけだ。
 汽車をおり駅を出て、オリヴェイラ・リーマ街を教えてもらい、その道のおわりまでいき、銅像広場で右にまがり、フェルナンド・プレステス街に入りる。何十メートルか行くと「ネウザ洗濯店」と書かれた看板が目に入ったので、まったく迷わず松吉の家に着くことができた。
 松吉の家の長男、サダオは勉学のため日本に送られ、戦争でこちらに戻れなくなっていた。それでも手紙を通しての情報は得られていた。しかし、戦時中は国交断絶となり、今は音信不通であった。国交が再開してからまだ日が浅く、定期航路もなく、また船賃もとうてい払えるような額ではなく、こちらへの呼び戻しは控えていた。そのため、洗濯業は松吉とマサユキよりだいぶ年上の二人の娘がやっていた。
 マサユキがメモして父親に報告することは山ほどあったから、サントアンドレ滞在中、父との文通は頻繁だった。家族ができる仕事があるかどうか、住むところがあるか、家賃はどのぐらいか、年のはなれている兄弟姉妹が通学できる学校があるか、入学手続きにはどんな書類が必要か、また、その願書受付けはいつかといったことを調べるのはたいへんだった。だが、わりあい短時間で家族に必要な情報を得、父に伝えることができた。