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音楽=ジャケットの少年たちが訴える=ミルトン・ナシメントの歴史的名盤で有名になるも

アルバム「クルーベ・ダ・エスキーナ」のジャケット(ミルトン・ナシメント公式サイトより)

 「レコード・ジャケット」の存在は、その時代の流行の音楽を伝えるのみならず、その国の文化をも象徴するときもあるが、ブラジル音楽を国際的にも代表する名盤に写っていたかつての少年たちが、40数年の時を経て、「無断使用」で訴えを起こしている。
 問題の名盤は、60~80年代のブラジル音楽を代表する世界的なシンガーソングライター、ミルトン・ナシメントが、ロー・ボルジェスをデュエット・パートナーにして2人の名義で出したアルバム「クルーベ・ダ・エスキーナ」だ。
 1972年に発表された本作は、MTVやローリング・ストーン誌、エスタード紙といった国内メディアの「アルバム名盤選」の企画で、いずれも上位に選ばれるなど、ブラジルの音楽ファンからの尊敬の念が強いアルバムだ。同アルバムには、2014年にかの世界的ロックシンガー、デヴィッド・ボウイに盗作疑惑が浮上した際に模倣されたのではとささやかれた「カイス」、そして、ローの歌った曲で、エリス・レジーナをはじめ、国内で何度もカバーされている「トレン・アズル」などの名曲が収められている。
 このアルバムは、ジャケットに写った2人の少年が印象的な作品でもあった。黒人と白人の子どもたちは、まるで、黒人がミルトン、白人がローの少年時代を思わせるような雰囲気もかもし出していた。
 だが、アントニオ・カルロス・ローザ・デ・オリヴェイラ氏(通称カカウ)とジョゼ・アントニオ・リメス氏(通称トーニョ)の2人は、自分がその写真に写っていたことに、40年もの間、気がついていなかった。
 ジャケットの写真は1971年、2人がリオの農園地帯ノーヴァ・フリブルゴの農場でたたずんでいたところを撮影されたものだった。まだ2人が7、8歳のときのことだ。そこはちょうど、ミルトンとローがレコーディングを行っている現場の近くだった。
 しかし、トーニョ氏いわく、「2012年にジャーナリストに教えてもらってはじめて気がついた」とのことだった。ちょうどこの時期に、本作の新規改訂盤が発売されていた。
 このことを知った2人は、ミルトンとロー、所属レコード会社だったEMI(現在はユニバーサルに吸収)、同年作のコレクションに加えるためにアルバムをCDに編集した出版社アブリルを相手に、50万レアルを求めて訴訟を起こした。
 EMI側は、2007年に交わした契約書の中で、「クルーベ・ダ・エスキーナ」の作曲者の一人のロナウド・バストスから「肖像権の正当性」を譲り受けたと主張して、裁判に応じようとしなかった。
 2019年初頭には、写真を撮影したカメラマンも死去。さらに訴えた2人も、2011年にリオ州山間部で起きた洪水被害の際に子供時代の写真を失くしてしまったという。
 56歳のカカウ氏は庭師、55歳のトーニョ氏はスーパーの店員として現在もノヴァ・フリブルゴ市に住んでいる。トーニョ氏は、この件が起こるまで、ミルトン・ナシメントの音楽は聴いたことがなかったというが、「いい曲がたくさん入ったアルバムだ」と語っている。
 だが、「彼らは何万枚もレコードを売ったが、許可もなく、お金も払わないのはいけないことだ」と主張している。(13日付フォーリャ紙より)