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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(225)

 缶の穴のところに瓶を水平に突っ込む。もう一本は縦にして、缶の真ん中に入れ、はじめの瓶にもたせかける。片手で瓶が動かないようにし、もう一方の手で、おがくずを入れ、かたまるまで上から押す。そのあと、おがくずがくずれないようそっとビンを取り出す。すると、L型のトンネルができる。
 しわくちゃにした新聞紙でおがくずに火をつける。このとき、おがくずが炎を上げないよう注意する。そうしないと、おがくずがどんどん燃えて、全部の食べ物ができる前に燃え尽きてしまう。ご飯、フェイジョン、肉類、野菜類、せめて4種類の食べ物ができるまで、おがくずが消えないようにしなければならない。
 ネナはレンジが変わってもすぐに使い方を身につけてしまう。燃料のおがくずを毎日手配するのはミーチとジュンジの仕事だった。事前に製材所の主人から許可を得ている時間にもらいに行った。
 電機鋸の停止しているとき、つまり昼ごはんの時間、あるいはその日の作業がすみ、製材所が閉まる5時前の15分間だった。二人は二つか三つの袋におがくずを入れ、背負って運んだ。近所の人はその二人を見ると、「またやってる。ごくろうさん」といった。
 このように燃料はいくらでも手に入ったが、外側の缶のほうは3日か4日でだめになってしまう。だから、缶の補給がたいへんなのだ。正輝はそれを朝市で求めた。朝市では穀物を売る屋台で、食料油を小売している。買う人はうちからビンをもってきて、それに入れてもらう。当然空き缶がでるので、それを分けてもらった。
 工夫したレンジのおかげで、悪臭は減り、ヨシコの体調もいくぶん回復した。胸のゼーゼーが減り、相変わらず痩せてはいたが、食欲もふえた。一方、このレンジにも問題があった。ひどい煙をだし、煤が家中に落ち、また、壁は天井までいっていないし、天井板がないので、天井裏は煤でまっ黒になり、雨の日はきたない雫が落ちてくるのだった。

 正輝は子どもたちが現状のような境遇から抜け出してほしいと願い、厳しく教育してきた。厳しさを越えた激しい教育といえるかもしれない。それは正輝が身につけた愛国主義、道徳主義に基づいた日本男子としての価値観を伝えることだった。
 なんといっても、日本人、ことに沖縄人の父親は息子だけを厳しく教育する。娘は結婚すれば他の家に嫁ぎ、その家の人間になってしまう。ブラジル生まれでも同じことだ。男子はたとえブラジル生まれであれ、とくに息子たちはそうした価値観を植えつけねばならなく、手を抜くわけにはいかないと思っていた。その結果子どもの扱いが厳しくなりすぎたのかもしれない。
 まだ息子たちが幼いころにはそうしたやり方が通用していた。だが、子どもたちの成長、都会への移転、経済的困難が、子どもの能力によって生きるための別々の道を歩ませることになってしまった。正輝は決してそれを望んでいたわけではないが、失望の念にかられながらも、子どもはひとりずつ違うのだということを認識しなければならなかった。
 マサユキは市役所で働きながら、理科系高校を卒業した。父の希望通り、医科大学入試のために予備校に通いはじめた。一日中働き、夜、バスでサンパウロのディ・トゥリオ予備校に通った。