仕事と同胞ボランティアに全力=経営者目指し19歳で訪日=37歳で夢の電設会社を創業=友電設(ゆうでんせつ 本社・神奈川県横浜市)川崎俊広社長
13年後のいま、社員100人超で全国規模の事業を展開=社員の80%は日系ブラジル人、電気工事士の資格取得で家庭と生活が安定
電気工事士の国家資格取得で、デカセギ文化を変えていく新たなトレンドづくりへ――。1989年に19歳で訪日し、37歳で創業した。今年13年目を迎えた電気工事会社の株式会社友電設。ブラジルから裸一貫で出てきた青年が、いまや従業員100人を抱え、しかも全国規模で事業を展開する日本在住日系人のシンボル的な経営者になっている。同時に日本の経済界、産業界、国民生活にとって欠かせない電気工事分野の会社を育て上げた立志伝中の経営者になりつつある。日系人の雇用の安定化と次世代育成に積極的に取り組んでおり、日本在住の日系ブラジル人社会の中でも、そのボランティア活動とともに、従来型にはいなかった新しいタイプの日本人のリーダー像を築きつつある。
19歳で大志を抱いて両親の祖国日本に飛び立つ
創業経営者である川崎のキーワードはこれだろう。「日本人に負けないブラジル日系人の意地と根性を見せたい」、「事業を通して日本に来た同胞の生活安定と向上のために尽くす」、「今後も同胞のためにボランティア活動を継続する」。
日本に到来した多文化共生社会づくりの経営者リーダーの1人であることは間違いない。
さらに川崎自身を支えてきたのは、「何事にも忍耐強く、最後まで諦めずにやり通すことを信念にいままで頑張ってきた。この成果があり現在に続いていると思う」と自分を貫いているサムライ経営者だ。訪日以来、経営も人生も「何事にも全力を尽くし努力をする」と実践自立の開拓者精神で人生を切り開いてきた。
19歳の時に兄とともに、ブラジル最南端のリオ・グランデ・ド・スル州の州都ポルト・アレグレから、人生の成功者になることを心に秘めて日本に飛び立った川崎青年。
その当時、年率1000%以上のハイパーインフレが続くブラジルから、日本へのデカセギブームが頂点に達した時期だった。
日本はバブル経済の最盛期で人手不足が続き、職種は特に3K(きつい、きたない、危険)分野を中心に単純作業の肉体労働が多かった。川崎も建設労働者として働いた。しかも12年間もの間、転職せずに1つの会社で頑張った。
この時期に仕事中の事故で片目まで失った。並の人間なら黙ってそのままブラジルに帰るか、放浪者になるところだが、川崎には明確な人生目標があった。それは日本で経営者になることを目標にしていたのである。事業主になれば生活がよくなり、不安定な生活をしている同胞を救済することができると考えていたのである。そのとった策が国家試験である電気工事士の資格取得だった。
37歳で創業社長に。人生の転機は妻・瞳との出会い
12年間の人材派遣の仕事で貯めた手持ち資金で起業を本気で考えていた川崎に、転機が訪れる。妻になる瞳の兄が経営していた電気工事会社で働いたことである。この間に専門用語も多い国家試験である電気工事士に見事合格した。寸暇を惜しんで一心不乱に猛勉強した結果であった。そして4年後にこの会社を買い取った。
経営に自信を持っていた川崎は、2007年7月に神奈川県鶴見区に本社ビルを建て、電気設備工事会社の株式会社友電設を自ら創業した。日本で経営者になると決意してから18年の歳月がたっていた。
社名となった友電設の名前の由来は「信頼できる友達の和を広げていく」との理由からだった。日系人というだけで若い時に日本人から差別されてきた苦労が残っている社名でもあった。
川崎と妻の瞳との関係は単なる一般的な夫婦関係にとどまらず、創業期からアドバイザーとして信頼しあえる最良のパートナー関係になっている。会社の基盤構築期から成長拡大期に入ったいま、そのためにさまざまな分野で的確なアドバイスをし続けている。
「瞳が精神的に支えてくれているおかげで仕事に集中してここまでやってきた」という。瞳とは神奈川県の日本語学校で19年前に出会い良縁の関係になって結婚した。この関係から義兄が経営する電気工事会社に勤め、仕事の技術を習得しながら、従業員の適材適所や人の使い方などを学んでいったのである。
13年で社員100人、全国規模の事業展開へ
同社は、今年夏に行われる予定だった東京オリンピックの開催会場となる国立競技場内の電気工事の指名業者に加わり、歴史に名を残したのを始め、有名な建築物に電気工事で携わっているなど、国民と社会が必要としている会社になっている。
川崎は親の仕事に対する一生懸命な背中を見て頑張ってきた。それが経営理念に反映されている。『常に最善を尽くして納期を守り質の高いサービスを続けること』だ。
事業内容は、施設、テナント、工場、商店、公共施設、共同住宅、一般住宅、電気設備、インターネット、LANケーブル、防犯カメラ、エアコンなどの配管や配線工事、管理などの電気設備工事一切を行っている。
主な受注先を80社(2年前は50社)持っている。「社員を大切にする、人材を人財化する」会社で知られ、創業時8人だった従業員は現在100人(2年前は60人)、営業地域は東京と神奈川県を中心に関東で60%、沖縄県30%、岩手県や三重県など関東県外で10%と全国規模で事業を行っている。「いまは電気工事の技術者がいれば仕事が入ってくる」とうれしい悩みを抱えている。
社員のうち80%が日系ブラジル人を中心にした南米出身の日系人だ。同時に年毎に高まる会社の信用について川崎は「工事品質力の維持と絶えざる向上心、納期を厳守すること、人と人との繋がりを大事にすること」の3点が同社の評価に繋がっており、「実直に仕事を続けておりこれがお客様からの信用に繋がったことが大きい」という。
また会社の成長と発展を支えているのが経営基本方針6か条だ。
「従業員を大切にする家族主義経営」
「日本語習得のための教育予算は惜しまない」
「新規参入事業への進出は徹底的に研究し市場知識を深化させること」
「有能な会計士を雇用し投資管理と会計管理を行う必要がある」
「余計な無駄は徹底して省き支出抑制し会社の在庫や資材は徹底して会社管理下で行う」
さらに人間性重視の人材活性策も注目されよう。
「当社の外国人従業員は派遣型でなく正社員として安心して働ける職場を用意している」「私は電気工事士の資格取得から経営者人生が始まったが、このお陰で職にあぶれた人材を数多く採用することができた」と考えている。
人材育成法も「人材育成を重んじる、従業員とのコミュ二ケーションを図る、できる限り助言する」という人間性重視の経営で、「これからも寛容さをもって社員の成長を見守り続けたい」「新人も中堅社員も同じ目線で物事を判断できるように心がけている」。
人材の活かし方では「私が来日した時は外国人ということで相当苦労した。そのような思いを後に続く同胞にはさせたくないという思いが強い。日本に来て以来、人間関係の苦労もさんざん経験してきたが、積極的にコミュニケーションをとりそれを打破してきた。私はブラジル人と日本人双方の感覚を持っており、同時にブラジル人と日本人の良いところをうまく融合させる人の活かし方を習得した」と自負する日伯文化を熟知した安心感がある。
デカセギ人生を変えた電気工事士資格取得
電気工事士の国家資格取得を薦めることで、日系人の持つデカセギ文化を定住文化に変えていく新たなトレンドづくりをしている。在日日系人経営者の中でこの変化をつくる先頭グループに立っている1人が川崎俊広だろう。
国家試験の電気工事士の資格を取得した川崎は、専門技術を持つ会社社長として新たな安定した雇用形態モデルの構築に挑戦している。
ここでいう電気工事士とは、「ビル、工場、商店、一般住宅などの電気設備の安全を守るために工事の内容によって、一定の資格のある人でなければ電気工事を行ってはならないことが法令で決められており、その資格のある人を電気工事士」という。
電気工事士の職能団体として社団法人日本電気工事士協会があり「我々電気工事業界にとっては、日本の経済界や産業界はもとより、国民生活の基盤である“電気”の安定供給を支えるのが使命」と位置づけされている。
『在日南米電気工事業者協会』に続き、業者団体の「電友協会」を設立
2016年に設立されたNPO傘下の『在日南米電気工事業者協会』とは別に、鶴見区を中心にした電気工事業者だけの団体『電友協会』〔16業者が加盟〕を翌年の2017年に仲間とともに立ち上げた。目的の90%は従業員の資格取得などレベルアップを図ることだ。2団体ともに電気工事士の有資格者増に向けて、雇用不安につながる人材会社からの派遣労働という従来型の非正規雇用から抜け出し、正社員型雇用に繋がることが主な目的の一つだ。
川崎の人生、母との絆、そして家族愛
川崎は1970年生まれの日系二世だ。父・春夫は北海道出身で1937年生まれ、母・朝子は樺太出身で同じ37年生まれ。4人兄弟の末っ子として生まれた。少年期に父を亡くして生活環境が一変したが、芯の強い子供に育った。当時の父からの教えは「人の和を重んじること」、母からの教えは「物事にこだわらず大らかに生きること」を教わった。
いまもポルト・アレグレで暮らし、川崎を見守ってきた85歳になる母の朝子は、「俊広が日本で成功し、日本にいる日系人やブラジル人のために尽くして頑張っていることは本当にうれしいことだ。母として俊広を誇りに思う」と語った。
周りから「経営能力に優れ人材育成に努めている」と評価され、「物事には頑固、他人に任すのが苦手、リーダーシップがある」と、人に使われる人生ではなくリーダー人生を歩んでいる川崎には最愛の家族がいる。
妻「瞳」は74年生まれ。川崎は「家族といる時間が息抜きできるひと時なので、これからも家族と過ごす時間を大切にしたい」と心優しく頼りになる瞳夫人をほめた。子供は長女が「里奈」、次女が「英美里」の2人。家族愛を原点に「人に尽くす、世のために尽くす」人生を歩んでいる。
生活信条は「どんな困難に遭ってもストレスに負けることなく乗り越えることができる」だ。
多文化共生時代を築く経営者リーダーの一人
在日ブラジル人の従来の派遣型による雇用不安を少しでも解消し、こうした安定型雇用に繋がる試みは、デカセギ開始から30年を得たいま、デカセギ文化を変えていく新たなトレンドとして注目されている。
次代の在日ブラジル人社会を担っていく後継世代のために頑張る川崎は、「在日ブラジル人の人材育成に尽力し、日本での活躍の場を広め、かつ両国の絆を深めていきたい」と語る通り、いま注目の経営者の一人だ。くわえてボランティア活動でもブラジル大使館を動かすほどの人物になっている。
今後さらに「日系人のデカセギを社員採用して、安定した生活環境で仕事ができる場をつくってあげたい」という。そのためにも訪日希望のブラジル人は「まずブラジルで日本語や日本の風習を学んでほしい」し、「日系人は日本の文化を学んでから来日してほしい」とアドバイスをした。
会社経営とボランティア活動の今後について、「一定の力と影響力を持つために当面はさらなる会社規模の拡大を目指していきたい」と力強い言葉で取材を結んだ。(カンノエージェンシー代表 菅野(かんの)英明)