正輝は1954年12月3日、書類に署名し、弁護士の事務所の隣のプラッサ・ダ・セー291番地のサンパウロ第5登記所に登録した。
正輝のの尋問書にはこう書かれている。
「これまでの調査で指摘された証拠について尋問されたとき、証拠は正しくなく、証言人も知らず、それ以外申し立てることはないと答えた。訴訟の時期、アララクァーラの臣道聯盟の支部的役割をしていた機関を通じ会員となったが、そこで指導的役割をしていたわけではなく、単なる会員だった。入会の理由はすでに会員だった友人たちの勧めによる。
臣道聯盟の目的は祖国への愛国心を養うというもので、日本人の生命や所有物を脅かすことではない。よって、日系社会に対し、サボタージュやデモをしたことはない。その証拠に住居地ではそのようなことは一度も起っていない。1918年からブラジルに住み、ブラジル国籍の子弟が8人おり、この国を愛する者である。故郷で小学校を出た学歴もあり、本人も子弟もカトリック信者だ。その他の犯罪歴はない。被告弁護の機会を求め、それが受理された」
書類にはタイプを打った書記と、保久原正輝本人、モアシール・マンシオ・デ・トレード弁護人、通訳のジョゼ・サンターナ・ド・カルモが署名した。
尋問の翌日、トレド弁護士作成の臣道聯盟訴訟の委任状とサントアンドレ裁判地区のウンベルト・デ・アンドゥラーデ・ジュンケイラ判事が署名した督促状そして、トレド弁護士署名の答弁書を加え、裁判所で証言するため弁護士を通して提出した。
正輝の無罪を証明する多くの論拠があったにも関わらず、奇妙なことに弁護士は専門的、司法的手法でひとつの論拠に絞った。しかも、最後の一部に書きこんだ。検察局の告発によれば、罪を問われる論拠は皆無だ。ところが、弁護士はその問題に全く触れなかった。判事を説得させるために別の方法をとった。それは正輝がごくふつうの庶民であり、勤勉で、子弟の教育に力を入れているということを強調したのだ。
まず、弁護士は正輝がアララクァーラからサントアンドレに移ったため裁所所に出頭が遅れたことを説明した。そして、正輝の証言からいくつかの点をひろいあげた。そのなかの一つは臣道聯盟は祖国を愛する同胞の集まりであって、悪事を目的とする集まりではない。正輝はテロ行為に参加したことはなく、また彼の居住地では一度もそのような問題は起こったことがない。
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