ホーム | コラム | 特別寄稿 | デカセギ定住化30周年=多文化共生時代を生きる日系経営者=(2)=日本とブラジルを結んで67年=親子3代で『安心と信頼のイマイ』

デカセギ定住化30周年=多文化共生時代を生きる日系経営者=(2)=日本とブラジルを結んで67年=親子3代で『安心と信頼のイマイ』

今井譲治社長

 祖父の今井政市が1922年に愛媛県から移住以来、2年後にはブラジル今井家創建100周年を迎える。日本人であり日系人ともいえる双方の良きDNAを継承する今井譲治(57歳)は、イマイグループ(本社・東京都新宿区)の社長を20年間勤めている。日本生まれでブラジル育ちの多文化共生時代を生きる新しい日本人像の先頭グループに立っている1人だ。同時に祖父の代から続く日本の良き精神文化も継承している。親子3代でイマイの信用とブランドを育み、「在日ブラジル人の方々が『Saudade(懐かしさ)』故郷を身近に感じられる『味』を安全に届けたい」、「在庫を切らさず『イマイブランド』を育てて来た事」、「当社の取り扱いブランドは全て各国のナンバーワンと契約している」と確かな会社の地盤と看板を築いてきた。

日伯間を信頼と絆で結ぶ今井家と譲治社長

 1953年にサンパウロで創業以来、政市(まさいち)、悦太(えつた)、譲治(じょうじ)と今井家親子3代で信頼の『イマイブランド』を築いて67年。食の安心と安全を商いの原点に日本とブラジルを結ぶ食品総合商社として知られる。
 特に日本に住んでいる日系人やブラジル人からの信用と評価は絶大で、いまは日本人の食卓にもイマイブランドが浸透してきた。日本に数多くあるブラジル食品取扱業者の中では抜きんでた存在感をもっている。
 同時にブラジル今井家は祖父の今井政市が愛媛県から1922年に移住して以来、2年後には移住100周年を迎える。その子孫は六世を含めてブラジル今井家が100人以上でエンジニア、弁護士が多い(昔はブラジルナンバーワンの農機具メーカーであった初穂も経営)。
 日本の今井家は今井譲治を当主に30人超。98年たったいまも日伯双方の今井家は心の絆でしっかり結ばれている、日伯間を結ぶシンボル的な存在だ。
 2年後に移住100周年を迎える率直な感想を聞くと「祖父の時代からお世話になったブラジルに少しでも貢献出来たらと思います」と譲治はこう語った。
 その譲治の家族は、妻子は東京、母・みどりと姉の恵美と美紀の3人は現在もサンパウロで生活しており、弟は2人で純は他社で働き、健太はイマイ本社の営業本部長として活躍をしている。
 同社の顔でもある譲治は、1963年5月に東京・青山で生まれ、幼い頃から遊び場所は表参道だった。2023年は創業70周年と譲治の還暦祝いが重なる年だ。5人兄弟の長男でお坊ちゃんとして11歳までなに不自由なく育った。
 しかしブラジル暮らしは苦労が続いた。サンパウロ郊外のアチバイアで暮らし、中学に入ると多くのブラジル人の子供がそうであるように昼間は自動車修理工場で働き、夜は中学に通う、という生活が続いた。
 従ってこの時の関係もあり「友人はいまでも日本よりブラジル人が多い」という。サンパウロの高校入学後は下宿で一人暮らしをしながら、夜は高校に通い、昼間はショッピングセンターのおもちゃ屋の店長として働きながら、多くの社会勉強をしながら自分を磨き上げてきた。
 22歳の時に父の悦太に口説かれ、日本に帰国してイマイの仕事を手伝い始めた。創業以来、一貫して日伯間の食品貿易をやっていた会社ゆえに、仕事をやり始めると言葉の壁や文化の壁もなく、「ブラジルが好きだったこともあり、やっている仕事が面白かった」とスムーズに会社に馴染んでいった。
 当初は日本からブラジルへ出版物や日本酒、生活雑貨などを輸出販売していたが、1970年代からはブラジルから日本への食品輸入に貿易構造を転換した。経営者として剛腕でありキメの細かい商いもできる譲治はメキメキ頭角を現した、30歳でイマイの姉妹会社グローボ社長になり、37歳の若さでイマイ本社の社長に就任した。
 譲治の日本帰国と前後するように1980年代後半からデカセギブームによる「ブラジル日系人という新たな市場」が誕生した。
 1990年にはラテンアメリカの食品専門商社で日本ナンバーワンの時代を迎えた。当時は「毎日売上伝票の整理だけで徹夜状態が連日続いた」という。これ以降、ブラジル食品を取り扱う業者が激増した。
 ピーク時には32万人いた日系ブラジル人。いま18万人が滞在しているが12万人は日本の永住権を持ち定住している。その頂点に立つのが、日本で事業を成功させた経営者といわれる。日本とブラジルという2つの祖国を持つ譲治も、日本のブラジル事業関係者で構成される在日ブラジル商業会議所の副会頭として、日伯間の架け橋で頑張っている。
 社長業でも2008年のリーマンショックを乗り越えた経営者だ。今年は社長就任20周年の節目の年を迎えており、経営の要諦を聞いた。
 「ブラジルで育ち覚えた『Jogo de cintura』と呼ばれる『正面にまっすぐ進めないなら蛇行しながら攻める』、1+1=2のみではなく、1、又は3にもなる。会長・父親から教わった『信用をつくるのには時間がかかるが失うのは簡単だ』。「定期的にお客様を訪問して当社の商品の販売状況や、マーケットの状況を入手し、更に新しいヒントをもらう事、売り場を見るのが基本だ」。

商いを支える会社理念と社是社訓

 イマイにとって最大の経営危機だったリーマンショックから12年。この危機を教訓にした新たな経営理念がある。
★「私たちは世界中の驚きと感動を日本の食卓に届け、豊かなライフスタイルを提案します」
★「私たちは一人一人がプロフェッショナルとして高い意識を持った行動をします」
★「私たちは全社員が幸福でモチベーション高く働ける企業を目指します」
 毎日の朝礼時に社員全員が唱和している。
 同時に冬の時代を乗り越えてきたのが、創業以来継承されている会社の社是である。
★「利潤なきところに繁栄なし」
★「開発なきところに発展なし」
★「協調なきところに幸福なし」
 新たな経営理念とこの社是3カ条は、国内外の取引先からイマイの信用を倍加させている屋台骨でもある。父で2代目社長の故悦太からは、「信用第一」、「中小企業の社長は大変だ」と経営者のツボを伝授されているが、悦太の社長職で最大の功績は慧眼で後継者として譲治を育てたことだろう。

会社の現状と今後の経営課題

イマイの各国別のトップブランド商品

 現在、売上高に占めるブラジル産品取扱比率と販売比率は全体の約50%。同時に日本の少子高齢化による在日外国人労働者の急増という日本の国際化を反映し、現在、ブラジル、アメリカ、スペイン、ポルトガル、ドイツ、タイ、ベトナムなどの国から約500品目の食品や飲料、調味料などを輸入販売し、商品の多様化が加速している。
 現在の売れ筋商品は、ブラジル産お菓子のウェハース、スペイン産オリーブ、オリーブオイルの「ゴヤ」、ジュースなどの飲料がよく売れている。特に世界各国のトップブランドを輸入販売は譲治社長が手掛けた功績で、いまでは同社の看板商品になっている。
 具体例を列挙してみよう。主要輸入国別の社名とトップブランドの商品名は
1)ブラジルから
*MARILAN : ビスケット、ウェハース、菓子類
*Santa Helena : ピーナッツ菓子
*Velho Barreiro :カシャッサ
2)スペインから
*GOYA : テーブルオリーブ、オリーブオイル
3)ドイツから
*DEVELEY:ピクルス類、ソース類
4)フィリピンから
*BOY BAWANG:コーンスナック
5)ベトナムから
*MASAN/Chin-Su : ソース類、魚醤
 主な取引先は、国分、三井食品、三菱食品、丸紅食品など多くの卸問屋を持ち、小売店もイオン、イトーヨーカドー、北のエース、ベイシアなど500社以上と、ブラジルなど多国籍の食文化ビジネスを軸に成長している。
 同時に新規商品の開発努力や需要創出策など、絶えず価値創造型ビジネスに取り組んでおり、この分野でもパイオニア的な役割を担っているリーディング会社でもある。
 お客様からイマイへの評価は前回取材した5年前と同様に、「リピーターが多い、商品の適正価格、美味しい、完璧な品質」で購入したお客様から感謝の手紙も多いが、新たに「新商品の多様化と商品鮮度の良さと確かさ」が加わった。
 今年は社長在任20年になりその感想は「何とか67年のイマイの事業を引き継ぎ実行してきた。100周年迄は無理と思うが80周年迄は現役で続けられるように頑張る次第」と決意を語った。
 親時代とは異なる今後の課題は「世間の物事、考え方はそのスピードがますます速くなっている、乗り遅れないように情報の収集を行う事」と「ソーシャルネットワークをもっと活用して会社や商品の存在をPRして活動すること」の2点を挙げた。
 親の代は日本の伝統的な精神文化が大きな価値基準の一つになっていたが、親から教わった『日本の心と精神』は仕事上及び生活上どう継承されているのか
仕事上:
*大手企業が出来ない事をスピーディーにこなす。
*社員に命令するだけではなくみずから活動する。
*信用される迄は長年の年月がかかるが信用を落とすのは一瞬でおきる。
生活上:
*出来るだけ日系人のイベントに参加していろいろな情報を得る。
*インターネット、SNSなどの情報を得て“次のその先”を考える

会社存亡の危機を乗り越えた確かな経営力

 2008年のリーマンショックは日本中で起こった出稼ぎ労働者の相次ぐ解雇と帰国で、32万人いたといわれる日系人は18万人へとほぼ半減し、これに伴いイマイの主力市場だった日系人の減少がそのままイマイの経営を直撃した。
 具体的には、40人以上いた社員は15人に、業務用自動車も13台から5台に。物流センターも縮小統廃合、直営小売店やレストランの閉店など、2014年まで続いた。
 この6年間はイマイが生きるか死ぬかの厳しい向かい風が吹き続けた。「情をかけ家族同様に仕事をしていた社員の解雇を通知する時が一番つらかった」と譲治。ここ数年来、取り組んできた会社の再建計画は収益構造に転換できた」という。
 「攻めるより守る方が難しい」といわれる3代目の社長業で、最も大事なことは何かを聞くと「私には幸いイマイの土台があったため、ゼロからのスタートではなく輸入のノウハウがあった。ブラジルに11年住んだ経験を活かし、ブラジル人が欲しがるファーストブランドの輸入品取扱いを目標としてきた。しかし独占体制は続かず、早くも数社のライバルが出来、競争が激しくなり、価格の暴落にも繋がっていることが悩みだ。『ビジネスは両社にプラスにならないと続かない』とすべての社員に言い聞かせている。お客様に損をさせたら二度と買ってくれない事が多く生じる、その為、消費者を始め各店舗の意見を取り入れるよう考えている」。
 経営の初心は「いままで真面目に輸入業に取り組み、ブラジル専門商社として恥じない活動をして来た事」「各取引先に耳を傾け消費者が必要としている商品の開発、輸入をし適正価格で供給してきた事」という。
 さらに今井は営業力がある新しい価値造成型の社長であり、絶えず海外出張を行い、自分の目で確かめた商品を市場に投入し、「社員の能力を活かし社員を育てる」力量がある。
 商売上の悩みは「貿易会社ゆえに毎日の為替動向とデフレの問題は避けて通れないこと」、またこれからの商品開発は嗜好品とともに「家庭の食卓にはかかせない食品の開発を高めていきたい」。
 イマイに7人いるブラジル人社員は「ポルトガル語の営業ができる事を始め、弊社の社員は日本語の読み書きも出来る者を採用している。皆、真面目に良く話しを聞き働いてくれて感謝している」という。現在はイマイファミリーとして16名の社員が働いている。

日伯間のためになにができるか

 この仕事をやっていてよかったと思う時は、
「祖父の時代からブラジルと縁があり、ブラジルと日本を繋ぐ仕事であることを誇りに思っている。日本からブラジルに移民された方々は言葉、習慣、労働、さらに食べ物などで苦労された。
 当初は日本の食材を輸出していたが、現在はブラジルからいろいろな食品を輸入し在日ブラジル人の「元気」に繋がり、喜ばれていると思う。これからの日本は人口減少、人手不足などがさらに進み、外国人労働者をはじめ、いろいろな分野で彼らを必要としている。
 現在はベトナム、フィリピンの食材も輸入しており、更にその他の国々に手を伸ばして「元気のもと」になるように考えている。
 経営者の視点から親世代が持っていない強さについては「現在の取引先を通じて更なる可能性を見極める。ブラジルのみに頼らず、視野を広げてその他の国々にチャレンジする。現在のソーシャルネットワーク(SNS, facebook, Instagram, Amazonなど )を通じて商品のPRをして販売につなげる」。
 在日ブラジル商業会議所の創立期から理事兼貿易部会長として活躍、現在は副会頭職。
 日伯間の公的仕事に携わっている率直な感想は「どこまで私が役に立っているかわからないが、大好きなブラジルを日本人にアマゾン、サッカー、カーニバルだけではなく更なる『イメージアップ』をしたいと思う。経済大国であること、文化、ファッション、工業、エネルギーなど日本人には情報が足りないと思っている」。

今井の家庭

 雅子夫人とは1996年に結婚し、富山県出身の良妻賢母。内助の功で今井をしっかり支え続けている。「妻に家のことを任せており、多いときは年間4カ月近く国内外出張に走り回る。いつもありがとう」。
 子供は3人。長男:優治(ゆうじ)15歳、次男:伶治(れいじ)15歳、長女:理沙(りさ)12歳。自分の子供にイマイの社長になることを期待しているかを聞くと「彼らも夢を持っていると思うので押しつけはしない。しかし実現できれば最高」と顔が和らいだ。

多文化共生時代の到来

 譲治は少年期、青年期、成年期、壮年期と、年代を超えて多文化共生社会の中で生きてきた。取扱商品自体もブラジルの食品、お菓子、調味料、果汁、ジュース、酒類など、在日ブラジル人が生活で必要なものを提供してきた。
 そして日本で働く146万人を超える外国人労働者の多国籍化に伴って、イマイも多様化する需要に対応し取扱商品の多様化と拡大を図り商品供給に努めている。
 日本文化である同化型社会の地盤沈下と並行するように、多文化共生文化の広がりと深化が加速している。
 そんないま、多文化共生社会を熟知する譲治社長のような国際型社会の中で生きている新しいタイプの日本人経営者が激増しており、譲治社長も多文化共生時代をリードするその一人といえよう。(カンノエージェンシー代表 菅野(かんの)英明)