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新コロナ禍で見直したい、人間距離(じんかん・きょり)と、自然との距離=聖市ビラ・カロン区在住 毛利律子

適度な距離を保っている二人の姿(参考写真)

 僅か20年前に始まった短い21世紀の歴史を振り返ると、2001年9月11日、北米東岸を襲った同時多発テロ。直接攻撃を受けたニューヨークの世界貿易センタービルのメディアによる世界的同時中継は、あたかも核戦争の前触れを感じ震撼とさせられた。
 2011年3月11日、日本の東日本大震災では、地震、津波、原発事故が連動して起こった。このような未曽有の出来事に、「世界は一つ」というキャンペーンが大々的に張られ、世界中から慰めや助け合いが寄せられた。だが、これらはあくまで局地的なことであった。
 10年ごとに地球の終末を思わせるような終末的光景を目撃しても、その間、世界の各地で戦争は繰り返され、止むことを知らないままにいる。
 文明社会では、自国の利益追求一辺倒による衆愚政治の台頭、拡大し続ける貧富の差、日々の贅沢・華美・膨大な無駄・溢れるゴミなどによる自然破壊、倫理観の欠如といった風潮がはびこり、生活形態は一向に改善も反省もない。
 その間に起きていた、幾つかの感染病の流行も忘れてはいけない。
 そして今年2020年、世界は新コロナ疫病とともに年が明けた。今回は「世界のどこかで起きた」厄災、他人事ではない。世界中が「自分の身」の上に起きている、想定外の大厄災に見舞われているのである。
 カミュは『ペスト』で「ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもない。おそらくはいつか、人間に不幸と教訓をもたらすために、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差し向ける日が来るであろう」と、予言した。
 今、世界が直面している新コロナ疫病との闘いは、人間に、何を叱り、戒め、教えようとしているのか。
 いつか終息するであろうこの新コロナ禍の後に「戦いすんで日が暮れて」ほっとするのではなく、また始まる生活が全く無反省にこれまでの延長であってはならない。
 この疫病が何を暗示しているか。
 終息後に自分でも実行したい「距離を守ること」を考えてみた。それは、対人距離の再考であり、自然への距離を守り、敬う心を呼び起こすことである。

人間距離(じんかん・きょり)を再考する

 パンデミックで世界は都市を封鎖した。そして国家は、国民は身を守る手段として「ソーシャル・ディスタンス」を厳守しなければならないと命令した。少なくとも人と人の間を2メートルほど空けた距離を保って接するということである。
 疫病パンデミック下で使われる「ソーシャル・ディスタンシング」とは、伝染病の拡散速度を弱め、医療システムに過重な負担をかけることを回避するための戦略として取られる(社会距離拡大戦略)のこと。
 今、世界中で実行されているのが、呼吸器官の衛生策(マスク着用、咳エチケット、呼吸器の分泌物や汚染物に触れた場合の手指消毒など)と、手洗いの組み合わせ。
 また、学校、職場の閉鎖、隔離、検疫、防疫線による封鎖などの様々なロックダウンの拡大策がとられ、インターネットなどのテクノロジーを経由して社会的な仕事や人とのつながりを保っているという状態である。
 ところが、世間との隔離によって狭い家の中に閉じ込められると、今度は今までに経験したことのない家族間の問題にぶつかる。家庭内暴力や家庭内離婚状態など「予期せぬ出来事」に面と向かうことになった。
 そのような家族間のほころびが生じないように、メディアは連日、様々なアイデアを紹介しているが、瞬間で変わる人間の感情は、なかなか手強いのである。
 「ソーシャル・ディスタンス」とカタカナで転写された、目新しい感じのするこの言葉をよく見ると、実はこれは、疫病蔓延対策を意味するだけではない。
 古来から人間が社会集団生活の円満な営みをしていく上での、心理学的、社会学的距離と同じ概念であるということが分かった。
 「人間距離」は「じんかん・きょり」と読む。中国では「人間」を「人+門に月」と書いて、まず「じんかん」と読ませた後に「にんげん」とあり、その意味は、①人の世、世間、俗界、⓶人、人類と表記した。
 人間を「じんかん」と読ませるところがいかにも人間社会の在り様を見事に言い得ていると、つくづく感じさせる言葉である。
 古くから人間は、この「人間=じんかん」の程よい距離の見つけ方に悩み、苦しみ、答えを模索し続けてきた。現代社会では、こどもでも大人でも、この「程よい距離」が見いだせなくなると、最悪の場合、自死の選択にまで追い込まれるほど深刻なのである。
 新コロナ騒動直前までのネット上でのトピックといえば、「夫婦、親子、友人、恋人同士、男女関係、婚姻関係を結んだ二つの家族同士、隣近所、社内、グループ内、友人同士、家族間における最善の関係を保つための精神的、物理的距離は?」といった悩みが氾濫していた。
 そして、これらに応えて、専門家の指導、提案、ヒント、お節介な井戸端チャットなどが関心を集めていた。
 ネットでの「お悩み相談」は面と向かって言えない者にとっては好都合である。身の回りに胸襟を開いて、信頼して話を聞いてもらえる相手がいない。うっかり相談を持ち掛けると、身の破滅に及ぶこともある。
 一方、他人の意見はとても気になる。人はこんなときどうするか、どのように解決したのか。文学に触れ、映画を鑑賞したりして、それらの作品から胸の詰まりを解消したような気がするが、それは答えを得たのではなく、その悩みに「距離を置く」余裕が掴めたに過ぎない。一時的な解消であり、元の生活に戻ると、また同様の苦しみに戻るだけである。
 これは万国に共通した人間の悩みであり、古今東西から誰もが解決の出口、糸口を見いだしたいと喘いできたのが、この「人間距離の取り方」であった。

「ヤマアラシの寓話」

鋭いトゲに覆われたヤマアラシ(Airwolfhound from Hertfordshire, UK)

 ドイツの哲学者、アルトール・ショーペンハウエル(1788ー1860)が次のような寓話を著した。(『ショーペンハウエル全集・哲学小品集14巻-第31章、第396節』白水社)
 「ヤマアラシの一群が冷たい冬のある日、凍えないために互いの体温で暖め合うために、ピッタリとくっつきあった。
 だが、間もなく互いの棘の痛いのが感じられて、離れる。
 温まる必要から、また寄り添うと、二度目の禍が繰り返される。
…中略…
 こうして彼らは、難儀を繰り返しながら、ほどほどの間隔を置くことを工夫した。彼らが遂に編み出した「中くらいの距離」、共同生活が、それで成り立ちうるホドホドの隔たりというのが礼節であり、上品な風習であるというわけだ。
…中略…
 この隔たりのお陰で、お互いの暖め合おうという欲求は十分には充たされないが、その代わりに棘で刺される痛さは感じないですむ。
 しかし、心の中にたくさんの温かみを持っている人は、面倒をかけたり、かけられたりしないために、むしろ社交界から遠ざかっているのである」。
 この寓話を精神分析の領域に導入したのは心理学者のフロイトで、夫婦、親子、友人等の親密な間柄であればあるほど、愛情と憎しみが拮抗するという人間の感情を説いた。
 一対一の関係だけでなく、集団同士の関係、すなわち、婚姻関係を結んだ二つの家族、隣接する二つの集団、近隣の民族、国家、宗教や主義等等。距離が近ければ近いほど、互いの違いを強調する。そうしなければ、自分の立場を守りその権利を主張できなくなるからである。
 さらに、能力や環境が似通った者同士にも「嫉妬」という激しく悍ましいほどの感情によって、それまでの関係は一瞬にして壊れてしまう。
 これらを「ヤマアラシのジレンマ」というが、現代社会はなぜこのような現象が強くなったかというと、一昔前の社会には、人と人の間に、明らかに一定の距離を置く社会的秩序があった。
 この場合の秩序とは、「一定の距離=ルール仕組み」のことである。この距離の取り方には固定した習慣、道徳観念、礼儀作法があった。
 目上には従う、相手には動作を以って礼儀を尽くすというように、社会全体が自動的に調整されていた。ところが現代の自由社会でそのような「対人距離」の基準があいまいになった。
 経験や年齢の違い、親子といった立場の違い、上司、教師といった社会的地位の関係、約束といった守られるべき暗黙の了解、不文律の社会的距離が崩れた。
 親しみやすさを錯覚すると、やたら慣れ慣れしくなる。すると、思わぬ距離の近さに相手は反発する。嫌悪感すら生じる。あるいは、うっかり関わってしまったために傷つくのではないかという不安に脅える。
 また、親しくなると、相手に自分が飲み込まれてしまうのではないかという心理状態になる。簡単な再会の約束や、仕事上の付き合いでさえ躊躇する。拘束されたくない、束縛されたくないと思う感情から、できるだけ相手から離れようとする。
 このような苦しみが間断なく続くと、人は、他人との関わりを持つことを避けるようになる。
 このような心理状態は、被害妄想という精神疾病を引き起こす。いわゆるウツ的な気分になり、なにもかも捗らず、生きる張り合いをなくす。思い悩んでカウンセラーに相談すると、「ほどよく距離を置きましょう」と当たり前の返事が返る。「その距離の探し方を教えてください」と、専門家への不信感が起きる。
 やがて、相手への無関心、配慮の無さが募り、自分の気分次第で近づいたり、離れたりを我儘に繰り返すことになるのである。
 現在進行中の職場・学校閉鎖により、狭い家庭空間で何が起きているかというと、正面にいる家族と口をききたくないから、携帯でやり取りする。個人の領域である携帯電話は、「個人の自由意志、権利、主張」が守られ、高い壁を作ることができる。親は、子供の交友関係を確認することもできない。年頃の子供は、家族間でも厳然とした距離を取ろうとするのである。
 こうして社会全体が「ヤマアラシのジレンマ」の渦にはまり込むのである。
 それではどうしたら「良好な、ほどほどの関係」を保つことができるのだろうか。
 社会的秩序という拠り所があいまいになった。社会は一個人の力で変革できるものではない。そこには時代と言う大きな流れが横たわっているからである。相手との距離の取り方に、定義や答えは無いといえよう。
 ヤマアラシの一群のように、「難儀を繰り返しながら、ほどほどの間隔を置く工夫をする努力」無くしては見つからない。他人に答えを尋ねるのではなく、自分の五感を鋭敏にして、相手を思いやり、解決の道を手探りで常に探し続けることしかない、と思うのである。これが、改めて、人間距離を再考した結果の、自分なりの答えである。

「程よい距離」で自然と向き合う

日本の故郷の風景(参考写真)

 都市封鎖で見える世界の風景はまるで別世界のようである。人混みがなく、街そのものの風景である。西洋は人工的で石造りの建物に石畳、幾何学模様の整然とした庭園、壮大な聖堂…。
 日本の場合は桜並木、川の流れ、青田や遠くの山並み…の、美しい穏やかな自然である。改めて日本人はこんなにも美しい自然と共生していたのかと感動する。
 東日本大震災後、世界中から見舞いに来た歌手や演奏家と共に歌った童謡は「ふるさと」であった。なぜこの歌が、歌い継がれるかというと、それは、風景を歌っているからだという。どの民族にとっても、忘れ難いのは「故郷の風景」に他ならないのである。
 震災後に世界を不思議がらせたのは、「これほど辛すぎる災難に遭っても、何故こんなにも冷静に整然としていられるのか」という被災者の姿であった。
 それは、どんなに厳しい寒さの冬でも、やがて「必ず春になる」こと、「花は散っても、巡る季節に満開となる」、自然「四季の移り変わり」から学んだ諦観(本質を明らかに見ること)による、日本特有の自然観である。
 それは、「形あるものは必ず壊れる、人は必ず死ぬ、そして瑞々しく蘇る」ことを教える。このようなことを、自然に日々の営みの中で覚えてきた。自ずと神仏に対する畏れや敬いの心が根付いた。
 日本の宗教観は自然には「神仏がおわします」と、その気配を感じること。日本の自然には、「神仏や祖先の気配」が感じられる領域が歴然として存在している。
 12世紀の平安時代に後白河院は次のように歌った。
「仏は常にいませども、現ならぬぞあわれなる、人の音せぬ暁に、ほのかに夢に見えたもう。」(『梁塵秘抄』岩波文庫)
 ヤマアラシの一群が行き着いた賢い距離の取り方は、「ホドホドの隔たりを守りつつ、礼節を尊ぶ、上品な風習があった」であるが、まさに日本の信仰生活の中にはそれがあった。
 どういう礼節かというと「身近な自然に神仏を感じる」ことであった。
 ところが、近年、外国人観光客だけでなく、日本人も○○巡りという、社寺巡り、名所旧跡などで、ずいぶん領域を犯してきた。立ち入り禁止の場所に侵入したり、平気で仏像を撫でまわす。写真を撮る。ゴミを捨てる。無礼の数々を重ねてきた。神仏はじっと見ているのである。
 終息後は、すぐに新たに人の波が動き、このような場所を訪れることになるであろう。その時に、せめて神仏への畏敬の念を表す、服装、振る舞いに気を付けて、礼儀を尽くしたい。
 今後も国際的な依存関係は増大し、社会的な移動性が高まり、旅行手段が発達して、経済生活は向上するであろう。
 その中で、以前と同じように、四六時中、密接な相互関係を経験することになる。ここで確かに言えることは、「快適な物理的、対人の距離を守ることは、幸せな人生を約束してくれる」ということだ。
 何時の時代でも、対人距離の葛藤を調整する機能を獲得すること。
 そして、忘れてはいけないことは、「自然との距離」である。なんでもかでも人間を中心に考えて、好き勝手に自然界に土足で足を踏み入れ、傍若無人にふるまわないこと。自然を尊重して、適切な距離を置くこと。
 これを忘れると、自然の猛威に再びさらされることになるであろう。