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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(252)

 その遅れが検事官を苛立たせた。検事が6月7日の判事に向けた書で、「遅れに疑問がある」と書いた。添付書類がついた申請書の受付日が4月26日と記録されているのに、判事が受け渡しの許可を与えたのは5月26日となっているのだ。
 検事は「法律の施行を預かる検査官として、申請書の検討にあたる前に、現公証人にお伺いしたい。期限にかけては第一人者である公証人としいて、正しく熱心に働いておられることは認めるが、なぜ訴訟が1957年6月19日から1958年5月26日まで止まってしまったのか説明していただきたい」

 判事は公証人に5日間の返答期限を与えた。
「敬意を称して」という言葉に続いて公証人署名で結ばれた1958年6月17日日付の書類にはこうかかれていた。
 「現在の登記所は迅速で組織立った処置を行っている。しかし、以前は従業員の不足、また、一室という場所的問題などで、訴訟にあたっての能率が非常に悪かった。にもかかわらず、停止状態にあった作業をみなおし、公文書や請願書の返事を待ち訴訟者を探しだしている。ゆえに、結果を得る時間は早まったといえる」
 検事が今回とりあげたの申請書の受け取りの遅れについて、公証人は、「アンドラディーナ地区裁判所に送った山本よしゆき氏の訴訟書が戻らず、それがおくれをきたす原因となった」と述べた。
 また、先の判事への申請書と添付書類については「単なる日付の間違いだ。24/4/1958に発送されたとあるが、添付書類が多かったため、実際に登記所に出されたのは25/5/1598で、4月ではなく5月26日だった」と説明した。
 被告人の数が多いこと、そして、まれにみる犯罪のため、訴訟中の裁判は当時、司法権特有の問題を生じていた。裁判所の部門はこの問題をほかの部門に押し付けようとやっきになっていた。司法裁判所ばかりでなく最高裁判所までが訴訟開始を遅れさせた。司法裁判の組織自体が裁判を遅らせ、それが最終判決にまで影響した。
 だが、ネーヴェス弁護士の案が解決の方向を示しはじめた。
 彼の案を受けて、ビアンコ検事官は1958年6月26日、意見書を発表した。