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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(253)

 そのころ、「家」という言葉は屋根と壁でできた住まいを指していた。人によっては正輝一家の住んでいるところをみて、「家」とはいわなかったかもしれない。確かに前の掘っ立て小屋より多少ましだったが…だが、マッシャードス区とドン・ペドロ・プリメイロ街の2軒にくらべると、雲泥の差があるのだ。
 家の前面の壁は左側からみていくと、まず、白く塗られたレンガの壁、つづいて、オーニング窓、大きなガラス窓、レンガの壁は1メートル以上もある大きな入り口のドアを支える柱のところで終わる。ドアは溝の橋のかかったちょうど前にある。そこから先の壁はなにも塗っていない木材で、すき間に薄板が張ってある。さらに右にいくと壁は台所の窓までつづく。家は隣のベニア板工場との高い塀で終っている。
 家に入るには10センチほどの高さのセメントの仕切りをまたがねばならない。まるで、船か潜水艦に入るという状況だ。いや、それより悪いのは、応接間が敷居より低いことだ。つまり、外と中に段差があるのだ。酔っ払いにとって、まさしく落とし穴のようなものだ。
 居間の床はセメントで真っ平らではないし、ザラザラしている。ところによって、たとえばドアを支える柱の下はセメントが割れて土がむき出しになっている。右にある台所は細長い土間なのだ。居間の右端にある二つドアは寝室に向いている。右の寝室は大きくダブルベッドが二つ入り、左の部屋は細長く、シングルベッドが二つ入る。居間の左側は廊下で、その先にもう一つ大きい寝室がある。屋内の部屋の仕切りは素の板で、しかも、巾や高さが揃っていない。揃っていないのは残った安い板の切片を継ぎ合わせたからだろう。だから、板が天井まで届かないので、上の方は大きな隙間が開いていた。屋根は天井板もなくフランス瓦が葺いてあるだけだった。
 小屋よりちょっとましなだけなのだ。奇妙なのは家と庭の間の溝だ。溝は高いコンクリートの塀までいき、そこから家のなかに伸びているのだ。塀に沿った台所の壁に20センチの高さでセメントで仕切った巾広い溝があり、それが後ろ側の外までいき、こんどは塀に沿った土の溝にでる。その溝はマニール氏の屋敷の土地境まで伸び、そこには直径30センチほどの穴がある。

 居間にはガラス食器の棚を上に置いたジャカランダのテーブルがきちきちに入る。廊下には正輝が何年かまえに買い求め、息子たちも読んでいる本を入れる本棚がおかれた。レンガ柱には高さ20センチ巾30センチの黄色い額に入った鏡が家族みんなでみるように吊るされた。ただ背の低い子どもたちにはみることができず、髪をとかすためにはネナの手をかりなければならない。
 「さあ、ここをよく見なさい」と子どもの顔が鏡に映るよう、抱き上げてやるのだった。細長い台所にはヴィラ・ピーレスに住んでいたころ買った長いテーブルがようやく入った。窓の下には水道がなかったので、水の入った樽を置いた。レンジは台所の壁に沿った溝の上に板を置きその上に置かれた。
 白いきれいな石油のレンジで、火口は2つ、火の強弱を調整するボタンがついていた。ところが、レンジは機能しなかった。コロネル・オルチスを少しいったセナドール・フラッケル街の中古家庭用品店でもとめた中古品だ。古くても家族にとっては新しい家のために買ったレンジだったのだ。以前はサントアンドレに引っ越してすぐに買った炭のレンジを使っていた。あの新しいレンジは、あの新しい家とおなじように正輝の都会生活第一歩のシンボルだった。