党のスローガンは「自由は不休の監視により得られる」だ。ヴァルガスに対抗したというばかりでなく道徳主義観が大衆の気持ちをつかんだ。また、彼が尊敬する平田進議員もこの政党に属していることも有利に働いた。平田氏は日本人子弟で最初にサンフランシスコ広場の法科大学を卒業したひとり、戦時中は日本に住んでいた。UDNの討論や実践は父正輝が応援しているアデマール派と対立するが、そんなことは正輝にはどうでもいいことだった。今はただ、息子が選挙に勝つことだけしか頭になかった。
週に2、3回マサユキの支持者、上園アキミ、海老原セイジ、マサオ兄弟、黒埼ヒロフミ、藤本プリニオ、兼松プリニオ、有村ノリオ、石井ケンジ、藤原ショージ、柳田ミチオ、それに弟のアキミツ、そして、マサユキ自身が二つか三つのチームに分かれて新しい正輝の家から出かけた。
町中にポスターを貼り、路上や壁に名前を書いて歩いた。グループの者たちは夜明けに帰ると、ネナが作るランチが用意されていた。ネナはすでに家族と住んでいて、厚切りのモルタデラとかき玉子のランチでみんなを歓待した。上園アキミは食べ終わると、かならず「ああ、うまかった」といった。彼はみんなに「おじさん」と呼ばれていたが、それは支持者セージやマサオの叔父だったからだ。夜出かける日は彼らはほとんど寝る時間がなかった。週末には日系人の有権者のリストをもって、町中を歩き回り、マサユキの立候補や、選挙の大切さを伝え、彼に投票するよう頼み歩いた。
また、役所の仕事仲間たちも選挙運動に協力を惜しまなかった。選挙は10月3日に行われた。市長選挙の結果はだれもおどろなかった。マサユキが推していたオズワルド・ギメーネスがカルロス・ガランテを破った。
しかし、1960年─1965年の市議会を構成していた23名の名前の発表がおくれていた。開票がはじまってしばらく経つと、各党の投票数の多かった立候補者の名前が分ってきた。けれども、党の議員席は各党の投票数で決められる。最後に一票が出されてからはじめて各党の議員席の数がわかるのだ。UDNは少なくとも2席は得られる。それだけの投票数は十分にあった。専門用語で「商」と呼ばれる2席を獲得したのだ。
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