学校側は相談した上で、特別に夕方遅くからの授業を始めることにした。これは、マルコスのような生徒たちが他にもいて、彼らも昼間は働いていて時間がないため、勉強したくてもできないという事情があったからである。
いずれも日系人ばかりで、年齢的にもほとんどが大人であった。彼らもまた、ブラジルの学校は卒業していたが、年少のとき勉強した日本語がそのまま止まった状態だったので、もう少し勉強しようという目的を持っていた。そのクラスの生徒数は数人程度であった。
その点でこの学級は、学校からの強制的なところはなく、あくまで本人たちの強い希望から始まっていったものであった。その分、日本語塾という雰囲気が継続され、授業も毎日ではなく、一週間に三日、授業は夕方の五時半に始まるという変則な形のものであった。
が、働く者たちにとっては、それでも十分満足できるものだった。この学級では、教科書は小学国語読本の巻七から始めることになった。もちろん、マルコスもすでに、そのレベルでも問題なくついていけるという状況にあった。 教えるのは同じアヤ・ヒラタ先生ということになった。
これを聞いたときマルコスは内心、大きな満足感を覚えるとともに、何とも言えない嬉しさを感じていた。奇妙な感情の動きではあるけれど、彼はこのとき、無意識のうちにアヤに対する淡い慕情に似たようなものを抱いていた。
最初は、このうら若い女性が何となく頼りなく見え、先生として本当に大丈夫なのかと考えていたのだが、授業を受けていくにつれて、それが完全に裏切られたことに、ある種の嬉しい驚きを感じるようになった。それだけ、アヤの教え方は的を射たもので、マルコスを十分に納得させるほどの水準を持つものだったのである。
彼が、日本語にのめりこむようにして勉強するようになっていったのは、ひとつには、このアヤの指導ぶりが非常に良かったということが、その原因でもあった。マルコスの場合は、相手が先生であろうと女性であろうと日系人のように遠慮するというところがなく、疑問な点はどんどん質問するし、自分の意見もはっきり述べるから、学級の中でも目立つ存在になっていった。
マルコスにとっては、日常の生活が常にそのようなものであるから、特に何も考えなかったが、先生であるアヤにとっては、このブラジル人の生徒は、ある意味で新鮮なものとして映ったようである。その分、彼女のマルコスに対する指導も、通常以上に力が入ったものになっていった。
無論そこには、何の私的な感情というものは含まれず、あくまで先生と生徒としての会話であり、議論であった。ただ、そんな中でも時間の経過とともに、ある程度の感情がそこに芽生えていくことになったのは、自然の成り行きであったかもしれない。
それは、マルコスの勉強への姿勢の真剣さに対して、先生であるアヤの方も、それに応じるような真剣さで応えていったということであった。が、同時にそこに、二人に共通する波長のようなものが生まれていったというふうにも考えられるであろう。アヤが継続して担当することに対して、マルコスが喜んだ背景には、そのような事情があった。もちろんこの時は、二人ともまだ、それ以上の感情を意識することはなかった。