日本の国立感染症研究所サイト(https://www.niid.go.jp/niid/ja/kansennohanashi/519-malaria.html)にも《熱帯熱マラリアでは、早期に適切な対応をしないと、短期間で重症化し死に至ることがある》と説明されている。今現在も危険な感染症だ。
さらに《マラリアは100カ国余りで流行しており、世界保健機構(WHO)の推計によると、年間2億人以上の罹患者と200万人の死亡者がある》という驚くべき記述を見つけた。2011年現在の推計であり、わずか9年前だ。
今回の新型コロナで病死者が何十万人出るのか分からないが、一昔前まで毎年200万人が死んでいたマラリアでは、今回ほど大騒ぎをしていなかったのはなぜかと不思議になった。今回は先進国も犠牲になっているから大騒ぎしているが、マラリアは発展途上国だけの流行だったからなのか。この差はどこから来るのだろう。
☆
マラリアに関しては、実は「予告された悲劇」だった。次節で紹介するように、第1回移民船の前に来た〝神代組〟鈴木南樹らインテリには、この危険性はすでに知られていたからだ。
日本移民にとって比較的早い時期から、マラリアは恐ろしい病気だという認識は強かった。だが、笠戸丸移民が到着する前、実はブラジルでは「心配するほどの病気ではない」と見られる程度のものだった。
鈴木南樹(鈴木貞次郎)著『伯国日本移民の草分』(1932、山形県郷友会、http://www.brasiliminbunko.com.br/Obras/143.pdf)には、彼がブラジルに到着した1906年から笠戸丸移民が来た3年後までの草分け的体験が書かれている。
南樹は、水野龍から頼まれて「日本移民の実験台」として自ら耕地で働いた他、サンパウロ市ブラス区の移民収容所で情報収集をしていた。その際、収容所の上司に物知りのビートという人物がおり、彼にいろいろ質問しているシーンが描かれている。当時の収容所には病院があり、地方で様々な病に罹った移民を受け入れて治療していたので公衆衛生の事情に明るかった。
マラリアについて聞かれたビートは開口一番《マレタ?……あれにかかるのも、悪化させるのも、自ら好んでやるというもの惨酷だが、九分九厘まで当人が悪い場合が多い様ですね》と断定した。《マラリアは新しく開ける所なら、何処でもあるものだと思えば間違いありません。水が停滞して腐敗しやすい所は危険です。(中略)マレタの蚊はアノフェレスといって気を付けて見ると尻の方を上げてとまるから、すぐ分かります。(中略)マレタに罹りたくないものは蚊の発生時に於いて釣りに出かけたり、滝を見に行ったりするようなことを絶対に避けるべき――》(PDF版316ページ)などと滔々と説いた。
つまり、笠戸丸以前から開拓地の川沿いは危ないという認識は、移民収容所関係者にはあったし、南樹のような日本人にも伝わっていた。
本来なら、このような知識が早くから正しく普及されていれば、感染症の巣窟となったトメアスー移住地や、米を作りに川岸に家を建てた平野植民地の悲劇は防げていたはずだ。(つづく、深沢正雪記者)