澄んだ空気の中を歩きながら、二人ともが、かなり高揚した気分を味わっている。
話は、クリスト・レイ教会にまつわるものだから、当然、宗教の問題になっていくけれど、そのことがマルコスにとっては新鮮なものに映っている。彼自身、普段はこのような話をする機会などない。宗教についても、特に深く考えたこともなく、それについて誰かと真剣に議論するというようなことは、かつてなかったことである。
彼は、アヤとのこういった会話に、ある種の知的な刺激を受けている。ある程度のことは、マルコスも興味半分に宗教のことを考え、それなりの本を読んではみたが、それを、正面から向き合うようにして話し合ったという経験はない。彼が感じている新鮮さは、そんなところにあった。
一方、アヤの方も同じような刺激を受けていた。
正直なところ、彼女は日本から移民して来てからこちら、ブラジル人の青年とこのような形で、二人だけで話し合うのは始めてのことであった。クリスト・レイ教会の話だから、当然、彼女の方が説明することになるのだが、マルコスが意外と宗教の問題に関して考えていて、その質問も結構、的を射ているというところに、新鮮な驚きを覚えている。
もちろん、キリスト教とかカトリックに関する話は、いってみれば彼女の仕事の一部でもあるわけだから、それ自体にはそれほどの新鮮味はないのだが、しかし、マルコスのように、第三者的な立場の人間からの問いかけは、それなりの刺激もあって、そういう視点からの思考もあり得るのだというような、新たな見方を発見する思いがそこにはあった。
要するに、二人ともが同様に刺激を受け、それによって高揚感を持つという、共通した感覚を、このとき同時に味わっていたということである。それは、お互いが相手に対して同じ波長のようなものを感じ始めていたということであったのかもしれない。とにかく、二人の間が急速に接近しつつあったことは間違いないことであった。
マルコスは、アヤに対して淡い恋愛感情を覚えているが、しかし、それが果たして恋愛に繋がるような、はっきりした形を持つものであるかどうかとなると、よく分からない。今のところは、一方的なプラトニック・ラブのようなものであり、彼はアヤを、一人のそういう女性として捉える前に、やはり先生というふうに見ているところがある。その範囲から出ない限り、そこからは恋愛というレベルまでには昇華されることはないであろう。
マルコスにとっては、まことに微妙な心境ともいえるが、アヤの方が彼をどう見ているかということを確認しないうちは、彼から積極的に動き出すことはできない。しかも彼女の場合は、カトリック教会というものに密接に結び付いているから、問題はさらに複雑なものになっている。やや大げさに言ってしまえば、アヤがいずれ、修道女のようなものに進むとすれば、恋愛などということはあり得ないことになってしまう。現実に、そのようなことも考えられるであろう。
マルコスは、アヤと一緒に歩きながら、会話を続けながら、頭の隅では、そんなふうなことに考えを及ばせている。
(何を考えているんだ。今は、そんなことを考える場合ではないだろう。その発想自体が不謹慎というものだ。目を覚ませ)