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中島宏著『クリスト・レイ』第32話

 都会に出て、別の可能性を試してみるというのも大きな魅力ですが、どうも今まで考えてみたところでは、僕にとってはやはり、牧場経営に入っていった方が向いているのではないかということですね。父がやってきたことを継承していくのが、息子としては一番いいのではないかとも考えています。僕は長男で、しかも一人息子ということもあって、どうしてもその辺の責任のようなものも感じてしまいます。僕の下に妹が三人いますから、放って置くわけにもいきませんし」
 話がいつの間にか、マルコスのことになっていた。クリスト・レイ教会の話のはずが、かなり脱線してしまったようである。その分、アヤのマルコスに対する関心が高まったということもあるが、二人の間にはお互いに、もっと相手のことを知ろうという考えが大きく膨らんできたことは事実であった。そこには徐々に、先生と生徒との関係から離れていくという雰囲気があり、また、単なる友情を越えた、もっと密度の濃いものに発展していく気配が芽生えていた。
 とにかく、クリスト・レイ教会に関する説明という名の、マルコスとアヤとの第一回目のデートは、甘い薫りを持った空気を伴いつつ、無事に終わった。

隠れキリシタン

 毎週というわけにはいかなかったが、二週間あるいは三週間に一度というような感じで、マルコスとアヤはデートを重ねていった。もっとも、お互いに会うことは、毎週三日ほど、常に授業で会っているから、その間まったく会わないということではなかった。ただ、日本語学校で会うときは、あくまで先生と生徒としての関係を決して崩すことはなかった。むしろ、デートをするようになってからは、授業での二人の態度は以前よりももっと他人行儀のような、儀礼的な形のものになっていった。
 それだけ、それぞれがお互いを特別な者として意識し始めているということであったが、そのことについては意外と二人とも、それとは気付いていないようであった。
 無論、そのことは極端に変わったということではなく、他の生徒たちもその微妙な変化には誰も気が付かないという程度のものに過ぎなかった。
 マルコスは、ますます熱心に、日本語にのめり込むようにして勉強をしていったが、その分、アヤに対する気持ちも高まっていくのは当然ともいえた。それは、本来の日本語を勉強するという目的からは外れたものではあったが、しかし、結果としては、この時期のマルコスの日本語の上達ぶりは、それ以前のものをかなり上回るものになっていたから、そのことはむしろプラスに作用していたともいえる。
 同時にまた、クリスト・レイ教会に対する関心も高まっていき、それは一六世紀という、今まで考えたこともなかった時代に興味を持つことになり、さらにはイエズス会についても勉強することになっていった。
 変な言い方だが、それらのきっかけはすべて、アヤから出発していた。
 アヤの存在がなかったら、マルコスもそこまで必死になってこのような問題を探求するという気持ちにはなっていなかったであろう。アヤに繋がっているクリスト・レイ教会に興味を持ち、その背景を知りたくなったのも、そこに原因があったといっていい。