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ボルソナロ氏はセントロン的なのか、ナチス的なのか?

1日のボルソナロ大統領(Carolina Antunes/PR)

1日のボルソナロ大統領(Carolina Antunes/PR)

 「ボルソナロ大統領が福祉政策に燃えている」。こういう言われ方が、最近よくされる。
 伯字紙などの報道によると、大統領は自身の罷免を避けるための切り札として「ボウサ・ファミリア」に代わる福祉政策「レンダ・ブラジル」を成功させ、それを2022年の大統領選再選のための切り札にしたいと考えているという。
 先週の時点でも、レンダ・ブラジルに関し、パウロ・ゲデス経済相が提案する240レアルほどの毎月の支払額に対し、「どんなに安くても300レアルだ」と譲らず、そのためにプログラムの発表が先送りされた経緯もある。
 これまで「金持ちの味方で貧乏人には無関心」の印象を持たれていたボルソナロ氏からすると、かなり意外な展開だ。ましてや「福祉」となると、一般国民の印象は「ボウサ・ファミリア」の生みの親である労働者党(PT)の印象が強いから、「なぜにそのような左派的なことを?」と思う人もいるだろう。
 この件に関して、コラム子の推論は2つある。1つ目は「元々セントロン系の筋を持つ政治家なのかな」ということだ。
 ボルソナロ氏の場合、以前から見られる傾向だが、軍と銃、性に関する伝統的価値観を除けば、特に強いこだわりがない。そもそも、経済政策に関しても、社会保障制度改革に関しても従来は反対であったし、裁判の有罪実行に関しても、2審後ではなく、従来どおりの「4審後」を主張していたほど。このあたりの感覚は、2016年頃にPT政権の打倒を叫んで立ち上がった人の中でもむしろ弱い方だ。
 このあたりがボルソナロ氏が「新自由経済主義的保守派」になりきれないところなのではないかと思う。この思想はゲデス氏のようなエリートに目立つ考えだが、元が貧しい家庭の育ちで軍と政治家以外の経歴がないボルソナロ氏では、なかなかそうはなれないか。
 「だからこそ、これまでが右翼政党でなくセントロン系(中道)政党の所属だったのか」とも思った。民主社会党(PSDB)や民主党(DEM)のような「財界寄り右派」の政党では、自身も認めていた乏しい経済知識では難しかったか。
 だからこそ、関心のあること以外は「大衆の意見に従っておけ」の中道ポピュリズムだったのかと。コロナの緊急支援金が、PT支持基盤が強くて自分では苦手としていた北東部で大いに受けたと分かれば、平気でそこに乗る。下院議員28年の大半をセントロン系列の政党で過ごしているから、そういう判断も慣れてしまっているのではないだろうか。
 もうひとつ可能性があるとすれば、「福祉の重視」をナチス・ドイツに重ね合わせたか。ナチスも元々は「経済格差をなくす」ことを目標として国家社会主義路線であり、その線を狙ったのかも。
 ボルソナロ氏は大統領選で「ブラジルは全てを超える」と、「ドイツは全てを超える」というナチスのスローガンを真似て使ったほど、ヒトラーを信奉している。ただ、社会経済政策に関して、そこまでの考えを持っていたとは考えにくくはあるのだが。(陽)