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中島宏著『クリスト・レイ』第38話

「まあ、それだけ徳川幕府のあせりと、西洋から来たキリスト教という宗教に対する脅威は、普通ではなかったということね。
 ただ、一方で、そこまで根深く広がってしまったキリスト教を、そんなに易々と絶やすわけにはいかなかったのも事実ね。これに対するキリスト教の信者たちの抵抗は、幕府が予期していなかったほどの激しさだったから、この問題はますます深刻なものになっていったの」
「ふーん、これはますます驚きですね。十六世紀の時代の日本が、そういうものだったということは、もちろん僕は何も知らなかったし、ポルトガルという国の存在が、そこまでの影響を日本に与えていたことも、初めて聞く話だし、いやこれは、かなりの驚きですよ。それと、もう一つの驚きは、アヤ、あなたは随分、歴史に詳しいけど、どこでそこまで勉強したのですか。だって、普通の人はそこまで知らないでしょう。それとも、日本の人はそのようなことはみんな知っていて、常識みたいなことなのかな」
「そうね、この程度のことは大抵、知ってるはずよ。ただ、キリスト教に関した問題となると、やはり限られた人たちしか知らないかもしれないわね。私の場合は、キリスト教にまつわる話を子供の頃からずっと聞いてきたし、学校でも歴史には興味があったから、この十六世紀前後のことは自分なりに勉強したというところはあるわ。でも、それだって本格的に勉強したわけではないから、あまり信用はできないけど。
 そうね、私たちが住んでいた町が特殊な事情を持っていなければ、私もこのような問題には興味も持たず、知らないままに過ぎたかもしれないけど、こういった、宿命的といってもいいような歴史を背負っていると、どうしてもそこを避けて通るわけにはいかないでしょうね。そこにはね、マルコス、あのクリスト・レイ教会に密接に結び付くものがあるの。そしてね、あの教会自体も十六世紀の時代と固く繋がっているのよ」
「つまり、そういう歴史の重さがすべて、あのクリスト・レイ教会には存在しているということになるのかな。そうなると、建設されたのはまだ比較的最近のことだけど、あそこには十六世紀の日本からの流れがこのブラジルの地にまで伝わっているということになりますね。そういう解釈でいいのかな、それとも、それ以上にもっと深いものがあるのでしょうか」
「それは多分、考え方にもよるでしょうし、人にもよると思うけど、たとえば私のような場合は、今、建てられつつあるあの新しい教会が、外観の出来栄えとは関係なく、とても重く、とても深いものがあることは確かね。十六世紀の時代の、あのキリスト教への迫害が始まってからずっと続いてきたもの、つまり、絆というものが、あの教会には確実に存在しているの。
 そういう歴史を知らない人たちには、その辺りのことはもちろん何も見えないから、ただの教会、あるいは、ちょっと変わった形を持った教会に過ぎないでしょうけどね。私にとって、クリスト・レイ教会は一つの精神的な拠り所として、とても深い意味を持っているの。もっとも、どの教会でもそういう意味合いを持つものでしょうけど、あの教会はその度合いがすごく強いということなのね、特に私にとっては。
 遥か彼方の日本からこの広いブラジルに移り住んで、ここに私たちの教会を建てるということは、それだけでも大変な出来事だと、私には思えるの」