ホーム | 文芸 | 連載小説 | 中島宏著『クリスト・レイ』 | 中島宏著『クリスト・レイ』第48話

中島宏著『クリスト・レイ』第48話

「ところでね、アヤ、あなたは将来、どういう道に進もうと考えていますか。さっきの話ではどうも修道女にはならないようだけど、でも結局、さっきの『隠れキリシタン』に繋がる仕事をすることになっていくのだろうね。それは、日本からの延長の仕事でもあるし、やはり、そこから大きく逸れて行くということにはならないでしょう」

「はっきり言ってね、マルコス、私自身もまだ分からないの。キリスト教については、まあ、生まれてからずっと続いて来ていることでもあるし、そこから変わって行くことはまず、あり得ないことだけど、仕事についてはね、この学校の先生をずっと続けて行くかどうかとなると、正直なところ何も決めていないわ。

 たしかに日本語を教えることは重要な仕事だけど、私個人の考え方としては、これは永続性のあるものとはちょっと違うのではないかとも思えるの。

 どうしてそういうふうに考えるかというとね、あの二人のドイツから来ている神父さんたちは、たまたま自分たちはブラジルまで来たけど、それは、これだけのキリスト教を信奉する日本人たちを、このまま異国で放って置くわけにはいかないからだという目的の為だと仰ってたのを聞いたとき、ああ、そういうことなんだ、と私なりに納得したわけね。

 つまり、神父さんたちがここで日本語でお祈りし、説教をされるのは、こちらの教会では移民してきた人たちが言語が分からない為に、洗礼さえ受けられないということがあったりして、いずれこのままだと、ブラジルのカトリック教会にも属さず、かといって、日本の今村教会にも属さない、中途半端な形になってしまうことを心配されてのことだったわけね。

 形は違うけど、それはある意味で、ここで再び、隠れキリシタンに似たようなものが出来上がっていくのではないかという懸念があったということね。だから、神父さんたちが仰るには、今の仕事は、移民としてこのブラジルにやって来た人たちに、信仰の永続性を持たせる為の、一時的なものということになるわけね。それは、いい加減なものでいいということではなく、逆にそのことは、非常に重要な仕事であるということになるわけ。

 でも、その移民の人たちから、次世代の子供たちに継承されて行くにつれて、それはやはりブラジルに溶け込むようにして、いずれこちらのカトリックに入って行くのが自然の形ということになるわけでしょう。

 その時代になれば言語の問題もなくなるし、だとすれば、お祈りも洗礼も日本語で続けて行かなければならないという必要性もなくなるわけね。そういうふうに見て行くとね、日本語はこの場合、キリスト教を伝承して行く過程での欠かせない存在だけど、でもそれが次の世代に変わって行く時代になれば、その意味も目的も薄らいで、いつかは徐々に消えて行くということになるのは間違いないことでしょうね。

 神父さんたちが仰るには、自分たちの使命はそこにあるということで、目的はあくまでキリストの教えを確実に残しつつ、継続させて行くところにあるということのようね。

 日本語というのは、その為の手段であって、最終的な目的ではないとも仰ってるわ。

 マルコスはどう考えるのか知らないけど、私は、日本語を学ぶのも、ある点ではそれと同じような意味を持つのではないかと思うの。