“移民の父”上塚周平を知る最期の生き証人、安永忠邦さん(二世)が23日12時に聖州プロミッソン市の自宅で老衰のために亡くなった。「上塚植民地」と言われた当時に、プロミッソンの自宅農園で生まれ育ち、そこで99歳の生涯を全うした。
戦時中に枢軸国移民が「敵性国民」と弾圧される中でもこっそりと日本語を教え、子供達に教育勅語を語りついだ。二世として兵役にも服し、自宅農園でコーヒーなどの生産に従事しつつ、日本語教師として日本文化普及に尽力した。
80歳を迎えた時、新しい事をはじめようと教育勅語の清書を毎日行うようになり、5千回前後を数えた。本年1月の「白寿祝い」では、忠邦さんが教育勅語を淀みなく暗唱し、その姿をみた親族一同や野口泰総領事(当時)などが涙する一幕も。
息子の安永和教(かずのり)さんによれば、97歳まではコーヒー農園での収穫や栽培に勤しんでいたが、ここ2年程は老化による体力の衰えから困難になっていた。奇しくも亡くなる2日前、安倍晋三前内閣総理大臣から100歳を迎える人へのお祝いの銀盃が届き、大変喜んでいたと語る。
葬儀は10月24日9時からサンパウロ州プロミッソン市ボン・スセソの自宅で行われる予定。