ホーム | コラム | 特別寄稿 | 特別寄稿=充実した蟄居生活の秘訣=最後まで目標を持ち続ける=サンパウロ市ヴィラカロン在住 毛利律子

特別寄稿=充実した蟄居生活の秘訣=最後まで目標を持ち続ける=サンパウロ市ヴィラカロン在住 毛利律子

日本人の繊細な季節感「二十四節気」

季節の移ろいを示す二十四節気

 この頃の日本は季節の移ろいが不順で、「春夏秋冬」のメリハリが薄れたとはいえ、一年の四季のけじめを暦で知ることができる。ブラジルのカレンダーは国民休日を知るのに便利であるが、お土産として持ち帰った日本の暦には文化的な情報が豊富に紹介され、その都度学習できるので、海外に住んでいても日本の風習を忘れることはない。
 暦選びは師走の楽しみの一つでもあるが、中でも、詳細な二十四節気(にじゅうしせっき)が解説されているものは特に興味深い。
 二十四節気は、太陰暦を使用していた時代に、季節を現すための工夫として考え出されたもので、一年を二十四に等分し、その区切りと区切られた期間とにつけられた名前は、現在でも季節の節目を示す言葉として使われている。
 また、俳句などでは季語として使われる言葉も多い。二十四節気の月日は年毎に数日ずれて変化することを注意しなければならない。
 「春」。二月初めの「立春」から立夏の前日まで。雪も融け始め、春一番が吹き、うぐいすの鳴き声が聞こえ始める三月初めに「啓蟄(けいちつ)」の日がある。これは、冬眠をしていた虫が穴から出てくる頃という意味である。
「ああ寒い あらあら寒い ひがん哉」
 この歌は春彼岸を歌った小林一茶の句。
 夏は「熱の季節」で5月から始まり、一年中で一番昼が長い時期で、梅雨であり、7月下旬の大暑頃が最も暑く、空には入道雲が高々とそびえるようになる。学校は夏休みに入り、夏の土用の丑の日にウナギを食べて暑気払いをする。
 お盆の一週間ほどが全国的に休日となり、盆踊り、海も山もにぎわい、里帰りの交通網の大混雑が風物詩となる。
「魂棚(たまだな=仏壇)の奥なつかしや 親の顔」向井去来

みごとな桜と高齢者夫婦

 秋は、暦の上では8月初めから始まり、
9月下旬に秋分。昼と夜の長さがほぼ同じになることで、この日は秋彼岸の中日でもある。秋もいよいよ本番。菊の花が咲き始め、北国や山間部では霜が降り、全国の山を紅葉が飾る。
 冬は万物が冷ゆる季節。11月初めが立冬、この日から立春の前日までが冬。
 11月下旬の小雪、「神無月(かんなづき)」から冷え込みが厳しくなる。師走の12月は「大雪(たいせつ)」。山々は雪の衣を纏って冬の姿となる頃。
 下旬に冬至(とうじ) は、一年中で最も夜の長い日。この日より日が伸び始めることから、古くはこの日を年の始点と考えられた。柚湯のお風呂に入る慣習が今でも冬の楽しみとして残っている。
 正月が明け、小寒(しょうかん)の寒の入り、これから節分までの期間が「寒」である。寒さはこれからが本番となる。一年で最も寒さの厳しい頃であるが、春はもう目前に感じられ、「春よ来い、早く来い」、「春が来た、山に来た、里に来た」と唱歌がどこからともなく流れてくるようになる。
 このように、二十四節気は、今でも立春、春分、夏至など、季節を表す言葉として用いられているのである。
 もともと「文化」とは「耕す」ことに由来している。言語、思想すなわちモノの考え方、信仰、慣習、タブー、掟、制度、道具、技術、芸術作品、儀礼、儀式など一貫してその国の国民が共有する行動様式や物質的側面を含めた生活様式に表されるものである。
 英語ではカルチャーculture、ポルトガル語でもクルトゥーラculturaで、「耕す」を意味するcolereに由来し、土地を耕す意味で、派生語としてagriculture(農業)などがある。
 今日では「心を耕す」ことに重きを置いた文化活動、芸術活動を表す意義が込められるようになっている。私は毎年、日本の暦の二十四節気を読むたびに、日本の風土から生まれた文化の彩りの豊さを心から誇りに思っている。

花も実もある「蟄居」の秘訣

 さて、前出の「春の啓蟄(けいちつ)」の「啓」は「ひらく」、「蟄」は「土の中で冬ごもりしている虫」の意で、冬眠していた蛇や蛙などが暖かさに誘われて穴から出てくる頃。
 つまり「冬籠りの虫がはい出る」と歳時記にある。「蟄居」とはどうやら穴の中の虫生活を差しているらしい。
 古くは、中世から近世武士または公家に対して科せられた刑罰のひとつで、閉門の上、自宅の一室に謹慎させるもの。 幕府や領主などから命じられて行う場合と、命じられる前などに自発的に自宅で謹慎する場合もあった。江戸時代には蟄居・蟄居隠居・永蟄居などに分けられていた。

コロナを心配しながらも、外の空気を吸いにきた様子

 終わりの見えないコロナ禍にあって、「春の啓蟄」到来は、ブラジルでもまだ本格的ではないようだ。
 ここ数日の国際報道によると、ヨーロッパで二度目のピークか、再び数万人規模でコロナ感染者が増えているというのである。
 否応なく強いられた蟄居生活をこの先まだ続けなければならないかと思うと気が滅入るが、超高齢化社会の高齢者は人生の達人として、これまでの苦難の歴史を乗り越えたてきた知恵を集めて、花も実もある「蟄居」の日々を、賢く過ごす秘訣を見出し、実践しようと気分を変えていくしかない。
 人間はほかの動物の寿命を貰って生かされている。せっかく頂いた「余生」を一刻も無駄して生きてはならないということを教えている寓話がある。

グリム童話の「頂いた寿命」の話

 「グリム童話」は、ドイツのグリム兄弟が民話や寓話を編纂し、初版が1812年に発表された。その中には、白雪姫や赤ズキン、シンデレラなどが収められているが、それらは現代の私たちがディズニー映画で仕立てられた夢のように美しい物語ではない。
 グリム兄弟は、18世紀末から19世紀前半にかけて読み書きのできる子どもたちのために、口承の民話から創作童話風に、大人も子供も読む昔話に作り直した。
 今日ではおもに童話200編、子供のための聖人伝説10編の「グリム童話集」として愛読されているが、私は、人間社会の深い闇、人生訓など、考えさせられる寓話としてときどき読み返している。その中に、「寿命」について次のような話がある。
    ☆
 昔、神様は世界を作り、生き物たちの寿命を定めようとした。神様はそれぞれの生き物に公平に30年を考えたが、決定に際しては、それぞれの生き物の意見を聞いた。
 まず、ロバに、お前の寿命は30年でどうかと聞いた。
 ロバは、神さまに、いかに彼らが過酷な労働をしているか、長生きしなくないと訴え、神様はロバの寿命を18年とした。
 次に犬がやって来た。犬もやはり、30年は長すぎると訴えた。神様は彼らの訴えはもっともだと思い、犬の寿命を12年にした。
 次に猿がやって来て、自分たちは、人間の慰みもので、いつも笑いを提供しなくてはならない。これはとても辛い。つまり、笑いの影には、深い悲しみがあることを人間は知らない、と訴えた。神さまはなるほどと思い、猿の寿命を20年にした。
 そして最後に人間がやってきた。人間は、楽しそうで、健康で、元気であった。神さまは他の生き物同様、人間にも30年の寿命を与えようとしたら、人間だけは30年では短すぎると訴えた。ならばと、神さまはロバと犬と猿から削ってやった寿命を人間に授け、人間の寿命を70年としたところ、人間は満足せずに去っていった。
 こうして人間の一生の経歴は定まり、始めの30年は健康で、夢中に働き日々の生活に楽しみを見出す。
 しかし、これに続く「ロバの18年」は家族を養うために働き続ける。次は「犬の12年」。歯も失くし物も食べられず、隅っこに寝そべって、愚痴ぽく唸っている。
 最後の「猿の10年」は、愚かで馬鹿で間抜けなことばかりをして、子どもたちに嘲り笑われるのであると、物語は締めくくる。
    ☆
 人間の人生は他の生き物たちが放棄した寿命を譲り受けて長生きしている、という、身につまされる物語である。
 余分の長寿生活を、今後も続くであろうウィルス感染症との共存生活で、「花も実もある人生」にするには、どんな工夫ができるだろうか。

「年を取るほどの脳は活性化する?」

 さて、アメリカ発の長寿社会の健康に関する研究発表は、たとえそれが、一過性で、すぐに忘れてしまうようなものであれ、読むたびにワクワクさせられる。
 最新版では、「年をとれば物覚えが悪くなり、頭の働きが鈍くなるのは仕方ない」という既成概念を覆し、人の脳には加齢に対抗する底力があるという研究成果がある。アメリカ・ハーバード大研究グループによって突き止められたという。
 それによると、約5千人を対象に、加齢による脳の様々な変化を半世紀以上も追跡調査したところ、認知力を測る6種のテスト中4種で、高齢者の成績は20代よりも良かった。
 記憶力と認知のスピードには加齢に伴う低下が見られたが、言語力、空間推論力、単純計算力と抽象的推論力は向上し、被験者の15%は高齢になってからのほうが若いときより記憶力が優れていた。
 脳は高齢になっても可塑性(自分とその周辺の状況に応じて変化する能力)を維持し、誰もが加齢に従って認知力の低下を体験するとは限らない。逆に中年以降に高まる能力もある。
 高齢者は、注意力といった認知機能の補強に前頭葉と頭頂葉の両方を活用している。若年層は単純作業には左右の片側の脳しか使わないが、高齢者では左右の脳を活用する傾向が見られる。
 高齢者の「頭の使い方」は、結論に達するのに様々な脳の部位を使うので、より深い洞察が伴い脳そのものが「知恵脳」になる。ゆえに、国や企業のリーダーには『脳力』のある高齢者のほうがふさわしい。
 脳には優れた可塑性があり脳の備蓄、維持、補償がうまくできていれば70代、80代になっても人は優れた脳力を保てる。
 脳の「備蓄」とは知識や技能の蓄積を意味し、「維持」とは脳細胞の自己修復力。「補償」とは一部の機能低下を他の脳の機能で補うシステムのこと(プレジデントオンライン、10月15日配信)
 以上のような最新の脳科学研究報告である。高齢になれば人生の経験も相まって、「知恵脳」がますます冴えてくることが裏付けられたと、なんだか自分のことを認めてもらえたような気分にさせられた、とても好ましい報告はないか。

賢い蟄居生活の実践法

ゲートボールで体を動かす様子

 【原則】膨大な情報の中から、毎日続けることを念頭に置き、自分で計画を立て、自分が実践できるものを原則とすること。
《秘訣その1》
 高齢者はハイブリッドな運動法の組み合わせやペースの早い運動をしなくてよい。ウォーキング、ラジオ体操、無理なく毎日続けるプログラムを自分で作ること。
《秘訣その2》
 筋トレは、座り続けるような、ひとつの姿勢にならないように気を付け、常に「作動」のイメージを忘れないこと。エレベーターをなるべく使わない。掃除や身の回りの整理整頓を人任せにしないといった中に、筋肉を使うことを自分なりに作り出す。
《秘訣その3》
 一日のテレビを見る時間や番組などを決め、長時間のテレビ付けは要注意。文字は手書き。大きな声で好きな本を音読する。計算器は引き出しの奥に片付けよう。レジでパッと計算できる高齢者、スマートこの上ないではないか…。
《秘訣その4》
 独学に取り組もう。庭師、料理、裁縫、書道、絵画、音楽、宗教学、哲学、文学、未知未踏の世界は源遠、洋洋として広がっているのである。そして、これまでの重厚な経験、知識を発信する機会を積極的に作っていこう。
《秘訣その5》
 極端な食事制限や食事情報の洪水に流されないように気を付け、伝統的に食してきたものを見直し、規則正しく、「食事の質」は「人生の質」に関係することを忘れないこと。
《秘訣その6》
 人生の目標を持ち続ける。
 脳が元気であるということは、精神、肉体が健全であることを言う。
 そのために脳科学分野における高齢者の脳研究は日々目覚ましく進歩しているが、結論とするところは「人生最後まで目標を持ち続けて生きる」ことに尽きるようである。
 「目標という器を用意すると、それを達成したいという欲望・やる気が起こる。日々、中身を入れる作業に専心し、その面白さに夢中になり、知らぬ間に夢は実現。するとまた次の目標が生まれる」というように、好奇心に満ち溢れる。
 今日の情報社会は、挙げれば尽きないほどたくさんの「上手な老化」の知恵を提供してくれている。あとは自分次第ということか。
 この度のコロナ禍のような状況はこれからも繰りかえされるかもしれない。
 しかし、人生万事塞翁が馬。この蟄居生活経験は案外「賢い人生作りの好機」と言えるかもしれない。
【参考文献】『「スマート・エイジング」という生き方』著者・川島隆太・村田裕之、2012年、扶桑社