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中島宏著『クリスト・レイ』第71話

 大成功して故郷に錦を飾るという夢は、少なくとも今までの状況の中では結局、儚い夢となって終わってしまいそうな雰囲気にあった。少なくともそれは、出稼ぎを目的としていた人々にとっては、まことに厳しい現実であった。
 そこへいくと、このゴンザーガ区の人々は、最初から移民としての信念というようなものを、動かし難い形で持ち続けているようにも見える。それは、アヤも説明しているように、彼らのブラジルへの移民としての目的は、最初から出稼ぎというところにはなく、あくまで新世界で、自分たちの新しい生き方を築き上げていくというところにあったから、大半の日本人移民たちのような、失望感とか虚無感を持ってしまうことはなかった。
 が、しかし、とはいっても、その分苦労が少なかったかというと、実際にはそうでもなかった。彼らだって、ブラジルを新天地として捉え、当時の日本と比べたら格段にいい条件を持ち、成功の確率が高い国だと信じていたから、いざ、農業の現場に入ってみて、その厳しい現実に、同じような失望感を味わわされていたのは事実である。
 ただ、このゴンザーガ植民地に来た人々は、将来、それもかなり先の将来に対する希望と信念を持っていたから、このような現実の前で挫折感を持ってしまうことはなかった。そこに救いがあったともいえるが、そこには宗教という形での連帯感、あるいは精神力というものが大きく影響していたということはいえるようである。
 いずれにしても、この植民地の場合は、移民ということが失敗に帰したというふうな雰囲気は持っていなかった。この当時の日本人移民の多くがそうであったように、ブラジルに移民したことに対する思いが、失望から諦観へと変わらざるを得ないという経過は彼らの場合、辿らなかった。
 プロミッソンの町のゴンザーガ地区には最初、日本の他の地方からの移民たちと共に、福岡県の今村から来た人々も植民という形で入ったのだが、いつの間にか月日の経つうちに、うわさを聞いて、他県から移民してきた隠れキリシタンの末裔たちもこの地にやって来るようになった。むろん、定住が目的だったが、そのことはやはり彼らにとって、この地は居心地がよかったということなのかもしれない。同じ宗教を持つ、いわば同胞たちが一緒に住むということは、この、日本とは勝手の違いすぎるブラジルという国では、何よりも心強いことだったに違いない。これらの中には、長崎県の平戸や、生月島、五島列島、さらには熊本県からの人々もいた。
 ほぼ五百人の人々が一九三0年代当時には、このゴンザーガ地区に暮らすようになっていた。この中で福岡県今村出身の人々は、ブラジルへの日本人移民の開始初期以降からでは、すでに三百人以上を数えていた。一九一二年と一九一三年の二回に亘り、それぞれ百名余の人々が、今村からブラジルへ移民している。そして、その後も不定期ではあるが、何回にも分けて一定数の人々が当地にやって来ている。一九三0年代の初頭にわざわざアゴスチーニョ神父やエミリオ神父たちが、日本からブラジルに派遣されて来たのも、このような隠れキリシタン移民たちの存在が、大きなものであったことを物語っている。