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マラドーナが急死=アルゼンチンのサッカーの伝説

優勝トロフィーを掲げるマラドーナ(1986年、Unknown author, Public domain, via Wikimedia Commons)

 アルゼンチンが生んだ伝説のサッカー選手、ディエゴ・マラドーナが25日、ブエノスアイレス郊外のティグレで心不全のため亡くなった。60歳だった。
 マラドーナは3日、体調不良によりコロナウイルス感染を疑って検査入院した際、硬膜下血腫と診断され手術。8日後に退院した後は自宅静養に努めていた。手術そのものは難しくないものだったというが、主治医はマラドーナの体調不良を心配していたという。
 アルゼンチンのクラリン紙の報道によると、亡くなった当日は午前10時頃に倒れて心停止を起こし、かけつけた医師が蘇生を試みたが、12時過ぎに息を引き取ったという。家族によると、退院後のマラドーナは自身の健康についてかなり不安に駆られていたといい、以前、コカイン中毒のリハビリを行ったキューバでの静養を考慮していたという。
 マラドーナは1960年にブエノスアイレスのラヌースの貧しい家族に生まれ、15歳11カ月でアルゼンチンでプロ・デビューした。19歳で国内最優秀選手、20歳で国内最大のチームのボカ・ジュニオールズでスター選手となった後、1982年にスペインの名門バルセロナに移籍し、世界的な有名選手となった。84年には最長(7年)在籍することになるイタリアのSCナポリに移籍。二部降格争いの常連チームを国内屈指の強豪に変えた。

マラドーナの死を伝えるアルゼンチン紙(Twitter)

 W杯には82、86、90、94年と4度出場。特に86年、アルゼンチンに世界一をもたらした大会での準々決勝のイングランド戦で見せた、「神の手」ゴールと5人抜きのプレーは、サッカー史に残るプレーとして今日でも語り継がれている。個人技に優れながら、チームメイトの誰にでも点を取らせるプレースタイルでも評価が高かった。
 そうした華やかな選手生活の一方、94年W杯のドーピング検査陽性で出場停止になるなど、トラブルも多く、97年の引退後は極度の肥満とアルコール、薬毒中毒の問題も起こし、2004年には心停止も起こしていた。2010年にはアルゼンチン監督としてW杯に出場。19年9月には母国のヒムナシア・ラ・プラタの監督に就任し、指揮をとっていた。