ムスリム商人が利用するハラール料理店
サンパウロ市のブラス地区にある『タージ・マハル』(Rua Barão de Ladário, 859 – Bras)は、バングラディッシュ人が経営するインド料理とブラジル料理のレストランだ。
特に毎週月曜日から水曜日の昼食時には、ブラジル各地から同地区の衣料品卸売店に買い付けに訪れるムスリム商人でにぎわいを見せる。その理由は、サンパウロで決して多くないハラール料理が食べられるからだ。
表向きのメニューはブラジル料理が並ぶが、ムスリムの間ではハラールの規定に沿ったインド料理が食べられる店としてよく知られている。厨房では現在、バングラディッシュ人のシェフ、シャドゥーさんが毎日腕をふるう。
価格も一食13レアルと、現在の外食価格からするとお手頃である。バングラディッシュ人やパキスタン人、レバノン人、インドネシア人など、ブラス地区で働くムスリム商人が多く訪れ、情報交換の場にもなっているのが『タージ・マハル』だ。
約5年前に『タージ・マハル』がオープンした頃から、オーナーのバングラディッシュ人と友人であるアミンさんは、よくレストランを手伝ってきた。パンデミックになってから、アミンさんはカンピーナスの自分の店を閉め、ブラス地区にあるバングラディッシュ人が経営する縫製工場『バングラブラス』や同レストランの仕事をかけ持ちして手伝ってきた。
娘の事を思い出し涙
「バングラディッシュへは毎月2千レアルの仕送りをしてきましたが、今はとてもそれはかないません」
アミンさんはバングラディッシュに妻と16歳と10歳の娘がいる。長女には日本語からナミコ、二女にはナビコという名前も付けている。「ナミは海の波、ナビコと言うのは韓国語で蝶の意味。昔、韓国にも行きたいと思い、ハングル語を書く練習をしたこともあります」と話す。
「私の娘たちへの願いは、立派な医者になって社会の役に立つように育ってくれる事。そのために私は外国でがんばります」。本当は一緒に暮らしたい娘の事を思い出すと、自然と涙があふれ出す。
アミンさんが日本語を勉強したのはもう20年以上前の話だが、今もブラジルにいながら取材の受け答えも難なく日本語でこなすことができる。得意な言語は、母語のバングラディッシュ語に次ぎ、日本語、英語、韓国語、ポルトガル語と順を挙げる。
「正直に言うと、ポルトガル語は今もよく分かりません。ポルトガル語の“ジャネーラ(窓)”はバングラディッシュ語でも“ジャネラ”と言い、日本語の“○○ない”と言うような否定の“ない”という言葉は、バングラディッシュ語でも“ない”という同じ言葉です。私の頭の中では色んな言葉が混ざり合っています」と笑う。
圧倒的な日本びいきのアミンさんだけに、「ブラジルはあくまでも仕事のためにいるだけ」と考えている。
「昔から一番行きたい国は日本。日本人は控えめで、口だけでなくきちんと仕事をこなすし、話す時もゆっくり話してくれます。世界で一番好きなのは日本人、その次がブラジル人」と目を輝かせ、今も日本を訪ねるチャンスを密かにうかがっている。
アミンさんの夢は、「毎月、決まった日に必ず給料を払う会社を作ること」。ブラジルでの仕事はこれまでおおむね満足しているが、日本のように言葉にした約束は守るような社会が、アミンさんにとっての理想郷である。(つづく)