70歳以上の高齢者が「人生で後悔していること、それは・・・」
70歳以上の高齢著を対象にした、とあるアンケートの衝撃的な回答がある。
「これまでの人生で後悔していることは?」という問いに、男女別に集めた回答の中で70%の高齢者が、「自分の人生を振り返って後悔していること。それは歴史から何も学ばなかったこと。この年で少々のお金があって、食べることにも困らない。無難な老後=安全=幸福と信じて、人生最後の生きる価値を求めて日々チャレンジをしなかったこと。何か生き甲斐を見つけて、身近なこと、誰かのために、何かをしたいと思った矢先に足腰が立たなくなった。お金は病院通いで使い果たし、孤独で、空しく生きている」というのである。
確かに若い時期の後悔は人生の糧となり、その失敗から「悔い改め、学び直して、人生を再構築する」ことができよう。
仏教で教えるところの「後悔」とは、人生の最期に、「戻ることできない思い残しを悔やむこと」をいう。常に「臨終を想いて励むべし」ということを厳しく問う所以である。
しかし、いつの世も、人間はそのような思いを繰り返し、道半ばにして人生を終わる。
今からでも遅くない。聖人・哲人の究極の人生論を再読してみた。
「初心忘るべからず」
この言葉は、学校の入学式や会社の新入社員向けに送られることが多いが、あらゆる場面で、日本人が好んで使う言葉の一つであろう。
世阿弥
これは室町時代初期の能の大成者・世阿弥(ぜあみ、世阿彌陀佛、正平18年/貞治2年(1363年)? – 嘉吉3年8月8日(1443年9月1日)?)が遺した言葉である。
当時奈良に猿楽能の一座の有力な役者・観阿弥がいた。世阿弥の父親である。猿楽とは、中国大陸から渡った散楽が変化した演芸である。観阿弥は一座を引き連れて京都に進出し、当時の三代将軍足利義満に認められる。
その時12歳だった鬼夜叉、後の世阿弥は絶世の眉目秀麗の少年であり、相貌の美しさだけでなく、抜群の教養を兼備していた。将軍・足利義満は一目で世阿弥の美しさの虜になり、観阿弥一座は時の将軍という大スポンサーを得ることになった。
52歳で亡くなった父・観阿弥の最後の能舞台を見た世阿弥は、生前父から受けた薫陶を能楽論の大綱として纏めたのが『風姿花伝』である。
この書は「ただ一人の真実の後継者に能の真髄を伝える」ことを目的として書かれた秘伝であり、今日では日本を代表する能楽論、芸術論であり、教育論、人生論など人の生き方の美学を網羅した不滅の一書と言われ、日本人に最も影響を与えた孔子の「論語」と並び登場する。
世阿弥が、38歳ごろから書き始め、人生を7段階に分けて、その段階ごとに突き当たる試練や難関を、いかに美しく乗り越えるか、という究極の人生訓として、56歳の時に書き上げた。この能楽の聖典は、1909年(明治42)に吉田東伍によって翻刻(写本・版本などを、原本どおりに活字に組むなどして新たに出版すること)されるまでの500年間、全く世に知られることのない門外不出の秘伝書であった。
能とは
観阿弥・世阿弥親子によって室町時代に確立された「能」は、能面という仮面をつけ重厚な衣装を纏って演じる、音楽・踊り・演劇を融合させた、ミュージカルやオペラに近い歌舞劇である。
継承されている演劇としては「世界最古」といわれる日本独自の舞台芸術で、2008年にユネスコの世界無形文化遺産に指定された。
世阿弥の『風姿花伝』は、シェークスピアが登場する200年も前ということになる。江戸時代まで「猿楽」と呼ばれ、「能楽・狂言」と総称されるようになったのは、明治時代以降である。
面を付けるということは、天狗や亡者、幽霊、動植物の精霊、神といった超自然的な存在を表し、踊り手「シテ」は人間界と異界の「境界」を衣装で表している。
これを「夢幻能」という。現実の世界で起きる事件や出来事を題材として描かれる能は、虐げられた者、怨恨、貧困や病苦、非業の死を遂げた弱き者に優しく寄り添い、もう一度彼らの魂を現実世界に戻す「現在能」がある。
一方、「狂言」は、大衆の怒りや悲しみ、恐怖を喜劇にして表現したものである。
人生における三つの「初心」
世阿弥は新しい言葉を生み出す天才と伝えられている。「初心忘るべからず」に始まり、人生を「花」にたとえた言葉の数々は、「風姿花伝」のキーワードになっているが、これらの言葉で、世阿弥は何を伝えようとしているのか。
「初心」という言葉は、「人生で逃れられない試練の乗り越え方の対応策・戦略である」という。それを三つの「初心」として示している。
一「若い時の初心」
若い時に失敗や苦労した結果身につけた芸は、常に忘れてはならない。それは、後々の成功の糧になる。
若い頃の初心を忘れては、能を上達していく過程を自然に身に付けることが出来ず、後々、芸を上達することはとうてい無理というものだ。
だから、生涯、この時の初心を忘れてはならない。これは「前々の非を知るを、後々の是とす」という、当時の諺として知られていたらしく、現代の「失敗は成功の源」に先駆けとなる言葉である。
二「時々の初心忘るべからず」
歳とともに、その時々に積み重ねていくものを、「時々の初心」という。
「若い頃から、最盛期を経て、老年に至るまで、その時々にあった演じ方をすることが大切だ。その時々の演技をその場限りで忘れてしまっては、次に演ずる時に、身についたものは何も残らない。過去に演じた一つひとつの風体を、全部身につけておけば、年月を経れば、全てに味がでるものだ」
これはすなわち、失敗や試練を乗り越える経験の少ない者は大成しない。人間にはいつも試練が襲うが、「自分の未熟さを知りながら、以前の試練を乗り越えた時の知恵を思い出し、新しいことに挑戦する」ことを指している。
三「老後の初心忘るべからず」
「命には終わりあり、能には果てあるべからず」
誰にとっても「老い」は初めての体験である。因って、老齢期には老齢期にあった芸風を身につけることが「老後の初心」である。
「老いる」こととは、高齢になって初めて遭遇し、正面から向き合わねばならない試練である。歳をとったからといって、「もういい」ということは無い。その都度、初めて習うことを心得えなければならない。これを、「老後の初心」という。
52歳最晩年の父・観阿弥はそれまでの芸歴を全て披露するように完璧な舞を舞って亡くなった。世阿弥は、芸の師匠である父親が黙して語らず、ただ、最初にして最後の老体の演劇を「初心を以って」演じたのを見た。
世阿弥は、「老いる」こと自体が、未経験なことなのだと悟った。そして、そういう時こそが「初心」に立つ時。それは、無駄な不安と恐れに慄くのではなく、新しい試練として向かえよ、と述べているのである。
次に人生の「時」について。
時節感当(人生のチャンスを逃すな)
「時節感当」の「時節」とは、能役者が、楽屋から舞台に向かい、幕があがり橋掛かりに出る瞬間を言う。幕がパッと上がり、役者が見え、観客が役者の声を待ち受けている。
その心の高まりをうまく見計らって、絶妙のタイミングで声を出すことを「時節感当」と言う。これは、タイミングをつかむことの重要性を語ったもので、どんなに正しいことを言っても、タイミングをはずせば無となる。
タイミングが人々の心の動きのことだとすれば、それを逸すのは、まさに適時を掴めない自分の落ち度となる。
男時(おどき・陽)・女時(めどき・陰)
(勝負時の振舞い方)
世阿弥の時代には、「立合」という形式で、能の競い合いが行われた。立合とは、何人かの役者が同じ日の同じ舞台で、能を上演し、その勝負を競うことである。この勝負に負ければ、評価は下がり、後援者に見放されてしまう。
立合いは、自身の芸の今後を賭けた大事な勝負の場なのである。しかし、勝負の時には、「勢いの波」がある。世阿弥は、こっちに勢いがあると思える時を「男時(おどき)」、相手に勢いがついてしまっていると思える時を「女時(めどき)」と呼んだ。
世阿弥は、「小さな事で押されているな、と思う時には力を加減し、負けても気にすることなく、大きな勝負に備えよ。なぜなら、それは女時の時であるから」。むしろ、「男時」がくるのを待ち、そこで勝負に行け、というのである。
世阿弥は「男時・女時」の時流は、避けることのできない宿命と捉え、「よき時あれば、必ず、また、悪きことあり。これ力なき因果なり」。
そして「信あらば徳あるべし」「信じていれば、必ずいいことがある」のだから、力を発揮する時の潮目を見逃すなと説いている。
さらに「花」について
「秘する花。秘せずば花なるべからず」
『風姿花伝』の中心には「花」が厳然として存在する。なぜ人生を「花に」例えるのか。花は面白(おもしろ)さであり、それは珍しさにほかならないと断言する。「花は散るからこそ、咲くからこそ、美しい。人の命も花のように一瞬である」
秘すれば花
「あの人には華がある」とは、よく知られた言葉である。それは、その人なりの特有の美を言う。
誰も知らない自分の芸の秘密、いわゆる秘伝を持つこと。これをいたずらにひけらかすことは控え、いざという時の技とすれば、相手を圧倒することができる。
現代でも、自分の力を磨くための準備として秘する花を育てよと言う。その花は、いざという時に世界を圧倒するのである。
因果の花
この世の一切には「原因と結果」がある。時の運も結果に大きな影響を与え、人智を超えた働きをする。運気が悪い時にはその時に合わせ、「秘めて鍛えること」を続ければ、「秘する花」は時を得たかのように満開となるのである。
時分の花
幼い者、若い者にはすべてに花がある。しかしそれはホンの一時に咲く花である。謙虚さを忘れると、真実の花を咲かせることができない。40歳ころからは若者に花を持たせることを先に考え、自分らしい花を咲かせるよう、日々励むこと。
目前心後
「自分を客観的に見ることの難しさ」である。自分の両目は前を見ている。後ろ姿は見えない。我見(自分の側から相手をみる視点)ではなく離見(相手が私を見る視点)で見た時に初めて、本当の自分の姿を見極めることができる。「客観的に自分を見ることが大事だ」という意味である。
「老いの美」
「老骨に残りし花」とは、むしろ老いてこそ、さらに完成を目指すして咲かせる花のことである。この自覚がないと、老人は単なる自己満足の塊となり、世間の害悪になる。
世阿弥は、「稽古は強かれ、情識は無かれ」とは、「稽古の厳しさを忘れず、慢心することなかれ」と叱咤する。
世阿弥の理想は老いた父観阿弥の能であった。「能は、枝葉も少なく、老木(おいき)になるまで、花は散らで残りしなり」。
つまり、「老いて動きは派手ではないが、それまでの経験が残り花となって、いや増しに咲いている」と歌うのである。
「老い」による人生の完成である。その完成の姿を世阿弥は『至花道』という伝書でさらに追及する。
衰えを終わりとみるのではなく、若き初心の時と思って構えをとれば、衰えを超える見事な花を咲かせよ。老いには艶も色気も無いが、年を重ねた者にしか表せない美しさがある、「これこそが本物の花である」というのである。
高齢者はこれまでの経歴を自慢するのではなく、人生の終点で起きるどのようなリスクにも、人生の経験者としての対応能力を養っておかねばならない。老後生活こそ、何が起きるかわからないリスクに満ちたものなのであるから。
世阿弥の最晩年は悲運の極みであった。義満の子、第6代将軍足利義教によって理不尽な罪を着せられ、1434年、佐渡カ島への遠流の刑を受けた。この事件は千利休の切腹とともに、日本の芸術史の二つの謎と言われている。
後継者の息子に先立たれ、能楽の地位を追われ、追放され、後に京都に戻ったと伝わるが詳細は不明である。そのような失意の中で、81歳の長寿を全うした。
『風姿花伝』には「家督を継ぐこと」「芸人は愛玩動物を持つと芸を磨くことができない」など、現実的諸問題を挙げ、その対処法を具体的に指南している。超高齢化社会を生きる一人として、改めて読み返したい必読の書である。
《参考文献》
公益社団法人・能楽協会(https://www.nohgaku.or.jp/encyclopedia/whats)
風姿花伝・花鏡 (タチバナ教養文庫) 単行本 – 2012、世阿弥 (著)、小西甚一(翻訳)
NHK「100分de名著」ブックス、
世阿弥風姿花伝単行本(ソフトカバー)2015、NHKブックス、土屋惠一郎