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中島宏著『クリスト・レイ』第99話

「それとも、よほど鈍感だったのかということでしょうね。私の見るところではどうも、そのどちらにも原因があったということのようね。でもね、マルコス、そんなことよりも、私はもっと大事なことが、そこにはあったというふうに解釈したいわ」
「もっと大事なことというと?」
「つまりね、二人ともが相手のことを考えて、心配し、できるだけ自分のことを抑えようという思いが強く表れた結果だったということじゃないかしら」
「ということはそこに、相手を労わるという気持ちがあったということですね。自己犠牲というような大げさなものではないけど、とにかく相手のことをまず思って、自分のことは後回しにするというような、、。となると、そういう気持ちは、愛情に繋がることになりますね。なるほど、そういう解釈もあるということは、その事実だけで二人の愛情が証明されたということにもなりますね」
「ところが、その時点では二人ともまったく理解していなかったことになるわね、その辺りの微妙な心の動きが。だからやっぱり私たちは二人とも鈍感だという結論になるのじゃないかしら。でも、それでいいと私は思うわ。
 これで、どちらか一方がすごく敏感で、その辺りの心の葛藤をすべて読む能力があって、そこまで見えてしまうというタイプだったら、これはもう、最初からうまくいかないでしょうね。こんなことが分からないのか、これではまるっきり話が通じない、ということで歯車が噛み合わないことになってしまうでしょうね。残念ながら、というよりも、幸いにして、私たち二人はかなりの鈍感さを持っていたということね。
お互いが、それぞれの心の葛藤を抱えつつ、同じような所をぐるぐる廻っていたという風景は、何となくおかしみがあるけど、いってみればつまり、その不器用さが、私たちの取り得なのかもしれないわね。どうですか、マルコス、この私の意見に賛成できるかしら」
「アヤが不器用だったということは、今になって分かったという感じですが、でも、言われてみれば僕たちがお互いに鈍感だというところに、二人の持っている可能性の鍵が隠されているようにも思えますね。これはとても大きな発見ですよ」
 分かったような分からないような会話を紡ぎつつ、二人はさらにその先に進もうとしている。青春というものの持つまぶしさは、そこにいささかの屈託もなく、明るく、そして、その前に広がっている風景が、ひどく楽天的であるというところに起因しているようである。が、青春がすべて明るさ一辺倒のものではないということをこの後、時間の経過と共に、二人は徐々に理解することになって行く。

第三章

冷たい風

 一九三0年代のブラジルは、経済と政治面でかなりの変貌を見せていった時期に当たる。
 まず、あのアメリカから発信され、世界中を巻き込んでいった世界大恐慌の影響が、このブラジルにもはっきりとした形で現れ始めた。コーヒーを始めとする農産物の消費が、世界市場で一度に低下し始め、そのことが輸出不振という現象となって、この国にも大きな影を落とし始めたのである。無論、アメリカと比べれば矮小な市場でしかないブラジルでは、世界大恐慌から受ける影響は欧米から比べると、軽症にすぎないものではあったが、しかし、この国の経済に与えた衝動はそれなりに大きなものであったことは間違いない。