いってみれば、クーデターという名の政変を鎮圧するために、これを武力で解決しようという局部的な動きであって、大きく一般市民の支持を受けた戦いではなかった。それはたとえば、あのアメリカで起きた南北戦争とは、規模においても内容においても、極めて矮小なものであったことは間違いない。
そのせいか、この戦争もわずか三ヶ月で終わり、結局、サンパウロ州が降伏し、先にクーデターを起こした革命勢力がブラジル政界の実権を握ることになった。そして、その革命政府の中枢に座ったのが、ジェトゥリオ・ヴァルガスであり、この政府は、それまでのブラジルには見られなかった独裁政治をかかげ、これを実施していくことになる。このヴァルガス政権以降、如実に現れてくるのがブラジルにおけるナショナリズムであった。
一九三0年から一九三四年までは臨時政権であったが、その後の三年間は、合法的に憲法に基づく連邦政府の大統領として施政を行い、以後、一九三七年からは“新共和国”を樹立することによって独裁政治を確立させ、それを一九四五年まで継続させていくことになる。
当時の世界の政治の流れとして、あちこちの国でファシズムの思想が台頭し始めていたが、ブラジルの場合も、その流れに感化されたということはあったかもしれない。とにかく、ジェトゥリオ ・ヴァルガスは、それまでの多党乱立で、常に政変が繰り返されていた不安定な政情を一挙に安定させ、この国を成長路線に乗せていくことに成功したのである。
それは確かに、民主主義の形を取る政治形態ではなかったが、この時代のブラジルには、ある意味で、このような政治が必要であったとはいえるかもしれない。実際に、このヴァルガス政権になってから、社会は安定し、国民の生活も向上するという方向に向かったから、彼の大統領としての実力が認められ、全国的にもヴァルガス大統領に対する人気は急上昇していった。
国が沈滞化している時、民主体制だけでは解決できないという場面が往々にして出て来る。これは単にブラジルだけでなく、当時の第二次世界大戦前夜という時代の中にあっては、世界的傾向だったといえるであろう。この独裁政治という形は、即効性がある反面、強い副作用が伴う。その一つが、ナショナリズムである。独裁政治に国民がかなり反応して支持していく背景には、自分たちの国の持つ閉塞感に対する苛立ちと、それを一度に払拭したいという願望とが相乗するような形で存在する。
そして、そのことがナショナリズムを刺激し、自分たちの国に対する認識が高まると同時に、自国への愛着心が増大し、それは、それまで経験しなかった、大きな愛国心という形となって噴出する結果となる。
国を結束させて発展への軌道に乗せていくには、この方法は非常に効果があるのだが、しかし、これを刺激すると、場合によっては国民の間に、コントロールが効かなくなるような熱情と、異常なまでの高揚感を覚醒させてしまうことになる。第一次世界大戦後に、ヨーロッパを中心として起きていった現象はまさにそれであった。ファシズムという狂気とも呼べる動きが各国に伝播していったのは決して偶然の出来事ではなかった。
そしてその動きが第二次世界大戦への導火線の一つにもなるのだが、一九三0年代後半のこの時期は丁度そのことが、世界の潮流のようにして各国を荒々しく席捲していったのである。ブラジルでのヴァルガス政権の独裁政治も、いってみればその世界の潮流に乗るようにして成立していったことになるであろう。