この時期のブラジルでのナショナリズムは、はっきりいって異常な雰囲気を持つものであったといっていい。少なくともそれは、それまでの自由の国、移民の国というブラジルのイメージからは、程遠い流れを持つものであった。当時のドイツにおけるファシズムの台頭にも見られるように、国民の不満が高じていくことによってそこから、反体制のうねりのような動きが大きくなり、現状打破を目的とする偏った思想に走るという現象が起きてくる。
そして、それが国民の多くに浸透していくにつれて、そこから熱情的な、そして狂気の流れが生まれていく。ブラジルの場合、ドイツのような極端さはなかったが、しかし、この国にも、ナショナリズムが膨張していく素地は作られつつあった。
当時のアメリカほどのスケールは持たなかったにしても、ブラジルでも資本家、裕福階層がのさばり、労働者層、貧困層が省みられないという現象が顕在化しつつあった。
一九三0年のクーデターも、いわば、そういった現状への不満分子グループが決起した結果といえる。ジェトゥリオ・ヴァルガスは、その動きを敏感に察知し、主として地方に多いそれらの不満分子たちを束ねることによって、大きな勢力を作っていった。
そしてそれが、クーデターに繋がることになったのだが、このことはある意味で、この時代の世界的な流れでもあった。
臨時政権樹立後、ヴァルガスが手がけたのは、社会福祉、労働者たちを優遇する労働法などであったが、人気取りという側面はあったにせよ、そこに社会格差を是正するという明確な目的があったことは間違いない。そして、その動きの中でナショナリズムという流れが自然な形で表れていく。
一九三0年代は、いずれの国もそうであったように、あの世界大恐慌の影響下でブラジル経済は厳しい試練にさらされた。こればかりは革新的な政策を進めようとしたヴァルガス政権も打つ手がなかった。しかし、アメリカやヨーロッパと比べればまだブラジルの場合は、よほどましであったといえた。失業問題にしても、アメリカほどには深刻にならず、社会への影響も他国と比較して、そのマイナス面もなだらかなものであった。
ただ、そうであるにしても、この時期におけるブラジル社会には閉塞感が漂っていたことは間違いなく、表面的にはっきり表れなくても、一触即発の危険性があったことは事実であり、その辺りのコントロールは、ヴァルガス政権にとっても誠に微妙かつ複雑なものがあった。
もともと社会主義的傾向を持った政権であったが、それでも三0年代半ば辺りには、その社会主義を標榜する本格的な動きが、反乱という形で現れるという事態にまで発展した。結果的にそれは鎮圧されたのだが、この時期における社会情勢がいかに不安定かつ脆弱なものであったかを物語るこれは、エピソードでもあった。
このような時代の背景がそうさせたのか、同時にまた、ヴァルガス政権が危機感を持って、国民をその方向に向けていったのかは定かでないが、とにかく、この辺りからナショナリズムの流れが色濃いものとなっていく。そして、その矛先はまず、この国に住む外国人に向かった。
世界中からやって来た移民たちはこの場合、すべて外国人である。そして、このブラジルで生まれた、その子弟たちはブラジル人ということになるが、実態は、これらの子供たちが、正規なブラジル学校で勉強しなければならないということが徹底されていなかった。
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